令嬢 鷹宮紫織   連載第7回 




 新しい年を迎え速水邸はあらたまった雰囲気に包まれていたが、英介の体調が思わしくなかった。
年末に風邪を引いてしまいそのまま寝込んでいた。
真澄と紫織は義父英介の枕元を見舞い新年の挨拶をしたが、英介の気分がすぐれない様だったのですぐに引き上げた。

「お義父様の体調よくありませんわ」

「ああ、弱ってるな。
 そのうち、梅の里の別荘で養生して貰おう。
 あそこでゆっくり温泉につかれば、元気になるだろう」

「お義父様は本当に千草さんのファンでしたものね。
 千草さんが亡くなられた時の事は忘れられませんわ。
 私達の結婚式の間も、お義父様、ぼんやりなさって心ここにあらずと言った風情で、とてもお気の毒でした」

「ああ、そうだったね。あの時は義父に式に出て貰うのはためらわれたのだけれど、仕方なかった」

「もう過ぎた事ですわ、あなた」

「ああ、そうだな」



翌日、北島マヤ主演の舞台「椿姫」新春公演初日。
紫織は真澄にマヤの舞台を見に行ってほしくはなかったが、引き留める事は出来なかった。
結局、紫織も一緒に行く事になった。
紫織は支度をして玄関にやって来た真澄を見てはっとした。
普段から何を着ても似合う真澄だったが、新調したスーツを着た真澄は普段に増して素敵だった。

(マヤさんの舞台を見に行く時は普段より服装に気をつかうのだわ。
 気がつかなかった。まるで少年のよう)

紫織は真澄の行動を微笑ましく思った。
二人は車に乗り込むと大都劇場に向かった。
劇場につくと二人はロビーで支配人、劇場スタッフ達から新年の挨拶を受けた。
やがて、開演、舞台の幕があがる。
ヒロイン、マルグリットを演じるマヤ。
素晴らしかった。
紫織はマヤのマルグリットはなんて切ないのだろう、
一体、マヤはどこでこんな切ない恋の演技を身につけたのだろうと思った。
久しぶりにマヤに会って話を聞いてみたくなった。

「ねえ、あなた、楽屋に行きましょう。
 久しぶりにマヤさんに会ってお話をお聞きしたいわ。
 今日のマルグリット、素晴らしかったじゃありませんか?」

紫織がそう言うと真澄は

「では、行ってらっしゃい。
 僕は、社によりますのでこれで……」

「マヤさんに会いたくないんですか?」

「ははは、紫織さんにはかないませんね。
 いえ、僕が会いたくないのではなく、北島の方が会いたくないと思いますよ。
 あの子には嫌われていますからね」

「でも……」

「さ、行きたいなら行ってらっしゃい、僕はこれで」

そういうと真澄は紫織を置いて劇場を出て行った。
紫織は真澄を見送りながら、真澄が楽屋にマヤを決して訪ねようとしないのを不思議に思った。

(以前は、芝居が終わると楽屋にマヤさんを訪ねてよくからかっていたのに……。
 やはり結婚して私に気を使っているのかしら。
 もしかしたら、忘れる努力をしてくれているのかしら?)

紫織はそう思うとぱあっと気分が明るくなるのがわかった。

(そうよ、きっとそうだわ。)

紫織は、真澄が律儀な事を知っている。
真澄が冷血漢と言われながら、大事な約束は必ず果たす事を知っている。
根がまじめなのだ。

(そう、きっとそう、忘れようとしれくれているのだわ。
 ああ、そうだわ。嬉しい。真澄様!
 それでも、マヤさんの舞台は見に行かずにいられないのね。
 だって、あんなに素晴らしい演技なんですもの。
 それをあなたは何年も見て来た。
 ファンにならずにいられない筈だわ)

紫織は真澄の心を理解できたように感じ嬉しかった。

紫織は真澄の心を思いながらマヤの楽屋を尋ねた。
すでに舞台化粧を落していたマヤは、マルグリットからいつものマヤに戻っていた。
紫織を見ると、マヤはびっくりした顔をした。

「マヤさん、お久しぶり! 今日のマルグリット素敵でしたわ。」

「あ、ありがとうございます」

「アルマンが去って行く所、切ない表情がとてもよく出ていたわ!
 それに、クルチザンの時の高慢な態度。
 こう、カメリアの花を持って……。
 色っぽくて、あだっぽくて、本当に素敵!
 マヤさん、パンフレットにサインしていただけないかしら」

「え、ええ、いいですよ、下手ですけど」

マヤは紫織の出したパンフレットに北島マヤとサインをした。
紫織は礼を言うと楽屋を後にしようとした。
その時鏡台の前におかれた紫のバラの花束が目に入った。
紫織は足を止めると

「マヤさん、その紫のバラ、あの、1本いただけないかしら。
 速水は私に紫のバラを送ってくれた事は1度もないのよ。
 淋しい色で私には似合わないからって言って。」

紫織の言葉を聞いてマヤは、顔色を変えた。
そして、硬い声で答える。

「あの、これは、私の足長おじさんからいただいた物なんです。
 とても、とても大切な物なので……」

紫織は、はっとすると口元に手をやった。

(マヤさんは、紫のバラの人が速水だとは知らないんだわ。
 なんて皮肉なの。大っきらいな男が実は最大の恩人だなんて!)

「こちらこそ、ごめんなさい、私、気がつかなくて!
 そんな大切な物をほしいなんて言って……。ごめんなさい、マヤさん」

「いいえ、いいんです、あの、速水社長はお元気でしょうか?」

「……ええ、元気ですわ。相変わらず仕事ばかりしてますけど……。
 今日も一緒にマヤさんを訪ねようって誘ったのに社で仕事があるからってさっさと帰ってしまって」

「仕事って、こんな時間からですか?」

「ええ、あの人が家に早く帰るなんて滅多にないのよ。
 速水はね、私と結婚したのも仕事の為でしたの。
 わかっていても、寂しいものですわ。
 あら、ごめんなさい、こんな愚痴を言ってしまって」

「うそ! 速水さん、紫織さんの事、すごく愛していると思っていました。
 婚約披露パーティの時もすごくお似合いで」

マヤがそう言うのを聞きながら、紫織は自分が急に哀れになって涙が出て来た。
思わずハンカチで目頭を押さえる。

「ふふ、人の心なんてはたからみたらわからないものですわ。
 マルグリットが心を隠したように」

「……」

「愚痴を聞いてくれてありがとう。
 なかなか聞いてくれる人がいなくて。
 少し気がはれたわ、ありがとう、マヤさん」

「紫織さんは、速水さんを愛していらっしゃるのでしょう。
 愛している人と一緒に暮せるのでしょう。
 羨ましいです。
 あ、あの、マルグリットならそう思うかなって……」
 
「……そうね、手に入らない物を思って嘆くより手に入れた物で満足しなければね。
 ありがとう、マヤさん」

紫織はマヤに礼を言うと楽屋を後にした。
紫織は楽屋を後にしながら、思っていた。

(マヤさん、あなたはね、真澄様の愛を手に入れているのよ。
 知らないでしょうけれどね。
 私がどんなに望んでも手に入らないものを!)

ふいに紫織は心に巣食った1匹の蛇がぐにゃりと体をくねらせたように思った。
そして、醜い嫉妬の蛇が、鎌首を持ち上げそうになるのを必死で押し殺した。


紫織を見送ったマヤは思った。

(そう、あなたは手に入れた。
 速水さんを。
 速水さんの愛を。
 あたしがどんなに望んでも手に入らないものを!
 ……紫織さんは、紫のバラの人が速水さんだって知ってるのかしら?
 まさか、でも、でも、奥さんだし……。
 ううん、もし、知っていたら、速水さんに紫のバラを私に送らせるわけない。
 それに、紫織さんが速水さんに愛されてないなんて、そんな筈ない。
 速水さん、優しそうな笑顔で紫織さんを見つめていたもの。
 きっと、仕事が忙しくて紫織さんをかまってやれないのね。
 それで紫織さんが誤解したんだわ。)

マヤは、紫のバラの花束を手に取った。

(だけど、女優としては、応援してくれてる。もっと、もっとうまくなって速水さんの一番の女優になろう)

マヤは愛しそうに紫のバラの花の香りをかいだ。


二人の女達は、同時に同じ事を考えていた。
速水真澄の愛の行方を。
互いに相手が真澄の愛を勝ち取ったと思っていた。
一方は真実ではあったが……。



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