時計樹に飛び込んで 連載第10回
「いいえ、おまえはゴン太ではない。さあ、名前を名乗りなさい!」
真澄は訳がわからないという風情で、藤村を見た。藤村もゴン太を見る。二人で顔を見合わせた後、藤村は真耶お嬢様に向き直った。
「お嬢様、ゴン太はゴン太でございます。何故、そのような事を?」
真耶はゆっくりとゴン太を見上げた。
「この男はゴン太ではないわ。ゴン太のふりをしているだけよ」
真耶お嬢様はさっと木刀を前に突き出した。ゴン太が避ける。
「何、なさいますだ、お嬢様!」
「おまえ、よく、あたしの突きを避けたわね。今日の暴漢の一味なの? いいえ、それはないわね。おまえも死にかかったのだもの」
真耶はゴン太に木刀を突きつけたまま、ゆっくりとゴン太の前を回る。次第に壁際に追いつめられて行く真澄。
「ゴン太はね、馬にムチは使わないの。可哀想だからといってね。だけど、おまえは馬にムチを使った。何の躊躇いもなく……」
「それは、暴漢に襲われましたから……」
「何を言っている。今日だけならあたしも暴漢のせいだと思う。しかし、普段、ムチを使った事のない男が、正確に暴漢達の顔にムチをふるえるだろうか? ゴン太には出来ない。さあ、ゴン太、本当の事を言って!」
「お、お嬢様……。ムチはその、最近、練習を始めたのです。本当です」
「だったら、おミツは?」
「は?」
真澄はとぼけた。
「おミツ? ゴン太、どういう事だ?」
藤村も怪訝そうにゴン太を見た。
「おミツはゴン太に恋をしているのよ」
「はあ〜?」
藤村は思わず声を上げた。
「おミツはね、ゴン太が自分を大切にしてくれるって、嬉しそうに言っていたわ。この間まで、おミツはゴン太を馬鹿にしていた。おミツに何を言ったの? あんなふうに変わるなんて、普通じゃないわ。それに、馬の乗り方も変よ。妙に型にはまっていた。バイシクルにもすぐに乗れたし! さあ、言いなさい。おまえは誰?」
「お嬢様、それは、思い過ごしです」
真澄はゴン太らしく、曖昧な笑いを浮かべてへらへらと笑った。真耶お嬢様は眉をしかめながら藤村に視線を移した。
「藤村、おまえもグルね」
「は?」
「おまえ、何か知ってるんでしょ。おまえもゴン太をどこか馬鹿にしていた。それなのに、この頃は対等に話している。あたしの目は節穴じゃないわ。藤村、知っている事を話しなさい」
「お、お嬢様!」
「おまえ、主人の言う事が聞けないの!」
藤村がおろおろとする。真澄は腹をくくった。これ以上は誤摩化せない。それに、真耶お嬢様が協力してくれたら元の世界に帰り易い。真澄はそう考えて、ゴン太の仮面を脱ぎ捨てた。背を真っすぐに延ばす。筋肉の一つ一つが速水真澄を主張する。自信に溢れたその姿。姿形は同じゴン太。しかし、放つオーラが違う。貴公子然とした佇まいに真耶お嬢様は圧倒された。
「やはり! おまえは何者?」
真澄はいつもの、精悍で冷たい表情を浮かべている。ゴン太の人なつっこい顔つきが冷たさを和らげていたが、それでも、怜悧さは隠しきれない。
「僕の名前は速水真澄。お嬢さん、さすがに鋭いな」
真澄は窓辺にゆっくりと歩いて行った。窓枠に浅く腰掛ける。ゆっくりと話し始めた。別の世界から来た話を。決して未来からとは言わずに真澄は話を進めた。イチョウの樹を通って来た事、真耶お嬢様がイチョウの樹で降りれなくなっていた時、話しかけたのは自分だと言った。
「あの時の!」
真耶は最初は、信じられないと思ったが、あの時、話しかけて来た声は鮮明に覚えていた。
「ああ、そうだ……。僕がこの世界に来たのは、お嬢さん……、あなたが助けを呼んだからではないかと思っている」
「では、あたしのせいだと言うの?」
「偶然が重なったのさ。あなたのせいだけじゃない。だが、あなたが強く助けを求めていたのは確かだ」
真澄は、ふっと息をついた。
「あの時、お嬢さんは藤村の上に落ちただろう。藤村が気絶して俺は藤村の中に引っ張り込まれた。しかし、お嬢さんが、藤村の名前を強く呼んだ。それで、藤村はあちらの世界に行かなかったんだ。ところが、あの夜、ゴン太がイチョウの樹で寝た。樹にぶつかって気絶したのが原因ではないかと思うが、とにかく、ゴン太の魂は恐らく僕の世界に行き、空になったゴン太の体に僕が吸い込まれた。今、こういう状況だと思う」
「では、ゴン太の魂はお前の世界にいるというのか?」
「恐らく……」
「では早速、こちらに呼び戻さなければ! あたしが許します。おまえ、イチョウの樹で寝ておくれ。ゴン太を助けなければ」
「ああ、そうだな、奴はそれこそ、死ぬ程驚いていると思う」
真澄のこの言葉は的中していたが、もっと、厄介な事になっているとは真澄は思っていなかった。
「しかしだな、今、空っぽの体はないんだ。勝手に引っ張られる事は無いと思う。むしろ、真耶お嬢さん、あなたが強くゴン太を呼んだ方が奴はこっちに帰って来れると思う。そしたら、向うにある俺の体は空になる。向うが空になれば、俺は自然に引っ張られるだろう」
「それは、どうだろうか? 魂が空になった体は結構あるような気がする。用はイチョウの樹が問題だ。向うの世界にいるゴン太をどうやってイチョウの樹まで来させる?」
藤村が率直な意見を言った。真澄はしばらく考えた。それから徐に言った。
「……その方法は僕の方で考える。今夜は遅い。それに、暴漢達がまだうろうろしているかもしれん。明日の夜、11時にやってみたいと思う。お嬢さん、協力してくれるか?」
「ええ、もちろんよ。それで、どうやるの?」
真耶お嬢様の顔が急に元気になった。生来、冒険の好きな性格である。目がきらきらと輝いている。真澄はマヤを見ているようだと思った。
明日の夜の打ち合わせをすると真澄と藤村は真耶お嬢様の前を辞した。
一方、21世紀の世界では、ゴン太の魂を宿した速水の体が目覚めようとしていた。
続く
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