時計樹に飛び込んで    連載第9回 




 暴漢達は一斉に馬車に打ちかかって来た。

「娘の足を折れ!」

暴漢のリーダー格が叫ぶ。暴漢達は馬車の扉がこじ開け、お嬢様を引きずりだそうとする。真澄はムチを暴漢達に浴びせた。ピシリ、ピシリ。暴漢達から悲鳴が上がる。
その時、藤村が短銃を撃った。

パン! パン!

「こいつ短銃をもってるぞ!」

驚いた暴漢達が全員引いた。

「ゴン太、馬車を出せ!」

藤村の怒鳴り声に真澄は馬にムチを入れた。

ヒヒヒーン!

馬が後ろ足で立ち上がり、走りだそうとした。暴漢の一人が、馬の手綱を取って馬車を走らせまいとする。真澄はムチでその男をしたたかに打った。打たれた男はぎゃっといいながら手綱を離す。そのすきに真澄は馬にムチを入れた。馬は暴漢とムチに驚きながらもすぐに飛び出した。馬車は猛スピードで走り始めた。が、暴漢の内一人が走る馬車の扉にしがみつき必死に馬車に乗り込もうとする。藤村が、暴漢の顔をけって馬車から振り落とそうとした。何度も蹴るが、暴漢もしぶとい。真耶お嬢様は鞄の中から裁ちバサミを出すと、暴漢の手に鋏を突き立てた。ぎゃあっといいながら、暴漢は馬車から落ちた。その間に別の暴漢が、馬車の屋根に飛び乗っていた。暴漢は真澄の背後から近づいた。真澄は気が付かない。真澄の背後から暴漢がこん棒を振り下ろした。その時、馬車が大きく揺れた。落ちる暴漢。悲鳴が上がる。真澄は目の片隅でそれを見ながら馬にムチをいれた。橋を渡れば、伯爵邸はすぐだ。がらがらと馬車の車輪が大きな音を立てる。
しかし、もう一人、暴漢が馬車の後ろにへばりついていた。暴漢は馬車の後ろの窓ガラスを割り、真耶お嬢様の髪を掴んだ。

「きゃあ〜〜〜〜〜〜」

藤森は男の顔面に拳骨をたたきこむ。が、男はお嬢様の髪を離さない。髪を引っ張られ、真っ青な真耶お嬢様。揺れる馬車。藤村は短銃で暴漢の顔面を狙って撃った。男の悲鳴が上がる。

ドサッ!

男が馬車から落ちた。
真澄は必死に伯爵邸に駆け込んだ。門番にすぐに門を閉めさせる。伯爵邸の警護の者達に大声をかけ、暴漢を追わせる。真澄は玄関の前に馬車を止めると、大急ぎで馬車の扉を開けた。

「真耶お嬢様、お怪我はありませんか?」

藤村がお嬢様をしっかりと抱き締めている。お嬢様はがたがたと震えながら、気丈に答えた。

「ありがとう、ゴン太。あたしは……、大丈夫です」

藤村は馬車から降りると真耶お嬢様に手を貸した。お嬢様は真っ青な顔をしながらもしっかりと歩いて母屋に入った。
邸内は騒然となった。
女中達がお湯や薬を持って走り回る。真耶お嬢様は幸い割れたガラスで手を切っただけだった。
暴漢を追いかけた警護の者達はやがて、手ぶらで帰って来た。
北島伯爵は屋敷の警護を強化。伯爵は、サロンに藤村とゴン太を呼んだ。

「おまえ達、よく娘を守ってくれたな、礼を言う」

藤村は襲われた時の状況を詳しく伯爵に報告した。

「暴漢達はお嬢様の足を折れと言っていました。もしや、お嬢様を舞踏会へ出席させまいとしたのではないでしょうか?」

伯爵はさっと顔色を変えた。難しい顔をしたが、ふっと笑うとゴン太に向って言った。

「ゴン太、ご苦労だったな。もう下がっていいぞ」

真澄はペコっと頭を下げて伯爵の前を辞した。真澄はサロンを出ると扉の影に立ち伯爵と藤村の話をこっそりと聞いた。今日の襲撃の理由が知りたかった。


伯爵は藤村と二人きりになると事情を説明した。

「藤村、今度の舞踏会というか、今度の見合いだがな、実は花嫁候補は3人いるのだ」

「え! そんな!」

「一人は綾小路子爵家の次女、綾小路美佐子殿。もう一人は、九条公爵家の3女、九条敦子殿。実は、鷹時殿が日本に帰って来た時、横浜の港に、九条敦子殿が知人を迎えに行っていてな。そこで、鷹時殿を見初めたらしい。鷹時殿とうちの真耶に縁談の話があると知るとどうしても鷹時殿と見合いがしたいと上杉家に申し入れたらしい。上杉としても摂関家の流れを組む名門のお姫様との見合い。無下に断るわけにはいかない。しかし、外交官の妻は外交上重要な役割を果たす場合が多い。公家の姫ではそこが心許ない。断りたいが、断れない。そこで、一計を案じた。舞踏会の席で、立派に淑女として振る舞えたらその娘を花嫁としましょうと返事をしたのだ。だが、真耶と敦子殿だけでは、花嫁選びの格好がつかん。そこで、上杉家は綾小路家に頼んで美佐子殿に花嫁候補の一人になってもらったそうだ」

「確かに、それなら、断りやすいですね。3人の候補とそれぞれに相手をすればその中から一番心惹かれた相手を選べばいいのですから。それにこの方法なら九条敦子様にも選ばれる可能性がありますし、九条家も文句は言えないでしょう。綾小路の姫君にはすでに他の殿方を紹介すると上杉家から話が行っているのでしょうね」

藤村は真耶お嬢様に縁談があると言った時の奥様の言葉を思い出した。(他のお嬢様方もいらっしゃるでしょう)と夫人が言っていたのはこの事だったのかと藤村は思った。扉の影で聞いていた真澄はここまで聞くと、そっと扉を離れた。

「藤村、そういう事情だ。真耶はしばらく女学校を休ませよう」

「はい、その方が宜しいでしょう。4、5日休んだ所で問題はありますまい」

しかし、これを聞いて真耶お嬢様は激怒した。
ここは真耶お嬢様の部屋の一つ。お嬢様専用の居間である。藤村はお嬢様の怒鳴り声をしっかりと受け止めていた。

「明日の剣道の試合に出られないじゃない!」

「は?」

「ああ、もう、お父様やお母様には黙っていたのに、明日、剣道の試合があるの。せっかく、姫川さんと勝負出来ると思っていたのに!」

「姫川というと、華族院女学校と並ぶ名門女学校、楽聖女学校の女剣士、姫川亜弓でございますか?」

「ええ、そうよ」

「失礼ですが、お嬢様、お嬢様の腕では姫川様に勝てないと思いますが」

「そんなのやってみないとわからないじゃない」

「いや、しかし……」

「とにかく、試合もせず、逃げ出したとあっては北島の名前がすたるわ」

「お嬢様、大丈夫でございます。姫川様もお嬢様が暴漢に襲われたと知れば、逃げ出したとは思いますまい」

「いいえ、お父様は決して今夜の出来事を口外させないわ。そんな事をしたら暴漢達の思うツボですもの。上杉様と見合いをしようとすると暴漢に襲われると噂が立てば、誰も、上杉様と見合いをしなくなるわ。そしたら、結婚したがっている誰かさんにとっては思う壷でしょうよ」

「お嬢様! さすがでございます。藤村、お嬢様をお育てした甲斐がありました。そういう感覚こそ、上杉様にとっては必要な感覚でございましょう。お嬢様なら上杉様の右腕として日本の外交上素晴らしいお働きをされる事でしょう。では、舞踏会まで屋敷で大人しくなさってくださいますね」

真耶は藤村の褒め言葉に、へへへと照れくさそうに笑った。

「……、ええ、そうね、姫川さんには、舞踏会が終わってからもう一度、試合を申込むわ」

真耶お嬢様はこうして舞踏会当日まで、屋敷内で過す事となった。
真耶は部屋から出て行きかけた藤村の背中に声をかけた。

「待って、藤村、もう一つ話があるの。ゴン太を呼んで来て」

「は? ゴン太でございますか?」

「ええ、そうよ。今夜の暴漢の件で聞きたい事があるの」

藤村はなんだろうと思ったが、女中にゴン太を呼んで来させた。

「へえ、ゴン太でごぜえます。真耶お嬢様」

ゴン太が藤村の隣に立った。真耶は部屋の隅で待機している女中達に廊下で待つように言った。真耶はゆっくりと歩いて藤村とゴン太の前に立った。手には木刀を持っている。

「ゴン太、おまえに話があります」

「へえ」

「今日は、よく働いてくれましたね。真耶は礼を言います。暴漢達をぴしりぴしりとムチで打って撃退するなど素晴らしい働きでした。それに、馬車をよく操っていました。今夜、暴漢から逃げられたのはおまえのおかげです。真耶は礼をいいます」

真耶は頭を下げた。そして、顔を上げるとゴン太をはったと睨みつけ、鋭い声で言った。

「だから、おまえも名乗ってほしい」

「は?」

「おまえは誰? ゴン太ではない」

真澄は目をぱちくりさせ、頭の弱いゴン太を装った。

「お嬢様、おら、ゴン太ですだ」

真澄は誤摩化そうとした。





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