時計樹に飛び込んで    連載第14回 




 「こちらをご覧下さい」

水城はそれを見て驚いた。そこには藤村三郎が、真耶伯爵令嬢の健康祈願の依頼をした記録が載っていた。が、その名前の隣に速水真澄の名前が出て来るのだ。ただ、祈願の内容は健康ではなく御霊鎮めとなっていた。どうやら、我らが社長は怨霊にされたらしい。毎月25日に行っている。

「これは、こんな事って!」

「何か、お心あたりでも?」

「はい、うちの社長の名前です」

住職はさらに先代が先々代から聞いた話をした。

「先々代の住職が申しますには、或る日、懇意にしていた藤村三郎という青年から相談を受けたのだそうです。その青年が申すには、自分の体の中に速水真澄という人物の魂が入っている、その魂は元の体に帰りたがっている。なんとかならないかと相談されたそうです。その魂が申すには、自分はイチョウの樹から彷徨い出て来たと言ったそうです。取り敢えず、当時の住職はイチョウの樹を枕に休むように助言したそうで……。霊能者を探すという約束をしたそうですが、結局、良い霊能者が見つからなかったようです……。その後、藤村の体からその魂は出て行ったのですが、今度はその当時、御者をしていた男に取り憑いたそうです。しかし、真耶お嬢様がイチョウの樹に祈った所、無事、御者から離れ元に戻ったとか。祈りは午後11時に行われたそうです。この時間をしかと相手に伝えるようにと念を押されました」

「ありがとうございます。午後11時ですね」

住職は、水城に伝言を伝えると帰って行った。水城は早速、聖に連絡を入れ、住職の話を伝えた。

「ということは、午後11時に向うの真耶お嬢様がイチョウの樹に祈りを捧げるというのですね、真澄様の魂が御者から離れ元に戻るように……」

「……はい、そうです」

聖は水城の話を聞き、明治時代の状況が多少わかってホッとした。もちろん、その住職が本当の事を言っているかどうかわからないが、しかし……。

「では、真澄様を11時にイチョウの樹の根元へ連れて行けば、ゴン太の魂は明治時代に戻るのでしょうか?」

「……やってみない事には……」

聖は水城を励ますように言った。

「この際です、やれる事は総てやってみましょう。駄目で元々。これはマヤ様の口癖でしたね。それに住職の話では、真耶お嬢様がイチョウの樹に祈ったら真澄様の魂は元に戻ったのでしょう。きっと、住職の言った通りになりますよ。ここは楽天的に考えましょう。精神科医におかしな薬を処方される前に、ぜひ、真澄様の魂を呼び戻して退院させた方がいいでしょう」

「それが……」

水城は担当の精神科医が、妙に嬉しそうに多重人格だと言ったのが気になった。そういう患者をぜひ自分で研究して学会で発表したいという野心が見え隠れしていたのだ。水城は簡単に退院させて貰えるだろうかと思った。

「何か?」

水城が精神科医に一抹の不安があるというと、聖はしばらく考えて大丈夫でしょうと言った。

「真澄様がこちらに戻りさえすれば、精神科医の一人くらいなんとでも出来ます。まずは呼び戻す事です。それで……、マヤ様にも協力していただきましょう。マヤ様が真澄様の魂の片割れなら、片割れ同士の引き合う力が、真澄様をこちらに呼び戻す原動力になるかもしれません。同じ時間にイチョウの樹に向って真澄様の名前を呼んでいただきましょう。二人のマヤ様が同じ時間に呼び合えばうまく行くかもしれません」

こうして、二人の秘書によって計画は立てられた。聖は水城にマヤとゴン太の魂が宿る真澄の体を11時にイチョウの樹の根元に連れて来るように言った。

翌日、水城はマヤに速水の魂が過去にタイムスリップしたかもしれないと話した。住職が持って来た和綴じの帳面をマヤに見せた。マヤは水城の話を信じられない気持ちで聞いていた。

「そんな事って! じゃあ、今いるゴン太さんは、本物の明治の人なの?」

「ええ、そう……。恐らく、彼の話は本当の事なのよ。彼は北島伯爵邸で馬の世話をしていたの」

「うそ!」

「信じられない気持ちはわかるわ。私もまさかと思ったから。でも、この帳面が証拠よ。よく、これが残っていたものだわ。とにかく、午後11時にゴン太さんをイチョウの樹に連れて来て頂戴」

その夜、マヤはゴン太に言った。

「あなたの家に帰るには、また、イチョウの樹で寝ないといけないの。これから一緒に来て貰える?」

それを聞くとゴン太は嬉しそうにうなづいた。
マヤもまた水城と同じように、真澄が屈託なく笑うのを見て不思議な気分だった。もちろん、ゴン太が笑っているのだ。真澄ではない。真澄は例え心から笑っている時でも、無邪気さがないのだ。どこか大人の笑顔だった。しかし、今、目の前にいる真澄は、まさに、無邪気に笑っている。マヤはその笑顔を一生、胸に秘めておこうと思った。真澄を愛している事に変わりはない。今の、ありのままの真澄を愛している。しかし、もし、真澄が、こんな風に何の屈託もなく笑ってくれたら……。
ふっとマヤは息を吐き出した。

――そんな風に笑う速水さんは、速水さんじゃない。でも……、見てみたい……。

ぼんやりとしていたマヤにジーンズとTシャツに着替えたゴン太が声をかけた。

「マヤさん、さ、行くだべか?」

「ええ、そうね。でも、玄関からはいけないの。玄関から行くと警備員に止められてしまう。さ、こっちよ、窓から抜け出すの」

窓から外を見ると、水城と男の姿が見える。

「あれは……」

――聖さん……?

マヤは水城と一緒に立っている男が聖に似ていると思った。

「マヤちゃん、早く!」

下から水城が声をかけた。
マヤは事前に用意しておいたロープを窓枠に結びつけると垂らした。時刻は10時30分。まず、ゴン太を先に2階の窓から降ろす。窓からロープを伝って降りるゴン太。次にマヤだった。下で待っていた白衣を着た男が、ゴン太に薬を渡した。

「さ、これを飲んで。すぐに眠たくなりますから」

白衣を着た男は変装した聖だった。マヤは、ここは知らない振りをした方がいいのだろうかと迷った。すると聖の方から挨拶をした。

「マヤ様、僕は精神科の医者で近藤と言います。水城さんもご存知ですから」

マヤは、ほっとした。聖にペコリと頭を下げる。

「ひ、じゃない、近藤先生、来てくれて嬉しいです」

水城が言葉を添える。

「マヤちゃん、真澄様の解毒剤を見つけてくれたのも、近藤先生なのよ」

「え! ホントですか! ありがとうございます!」

マヤはもう一度、深々と頭を下げた。
薬を飲んだゴン太は、早速、眠そうにし始めた。イチョウの樹によりかかりうつらうつらとする。

「さ、マヤ様、真澄様を心の中で呼んで下さい。戻ってと祈って下さい」

マヤは、聖に促されて一心に祈り始めた。イチョウの樹に頭を寄せる。

――速水さん、速水さん、お願い、戻って来て……

一心に祈るマヤ。

――あれ、体が動かない! この感じ……、あの時と同じ。

マヤは紅天女の稽古中、紅谷で、公園で樹に寄り掛かって動けなくなった感覚を思い出した。

――あなたはあたしなの、お願い、イチョウの樹よ、あたしの声を伝えて! 速水さんに伝えて! 戻って来てって!

「速水さん! 戻って!」

水城と聖が固唾を飲んで見守る。
イチョウの樹は病院の敷地の片隅に生えている。すぐそばに塀がある。塀の向うは道路だ。たまに通る車のヘッドライトがあたりに怪しい影を踊らせる。夜空は雲に覆われ雨の振りそうな気配である。時々、遠雷が聞こえた。
その時だった!

「何をしている!」

巡回中の警備員だ。

「おまえ達、ここで何をしている」

聖が穏やかに答えた。

「私は近藤という精神科の医者です。患者さんにある治療をしている所です」

「え? 近藤? そんなお医者さん、いなかった筈だが……」

水城が説明した。

「実は、私の懇意にしているお医者様なのです。こちらの主治医の先生とは別に私の方からお願いしまして……。近藤先生は、昔から速水社長をご存知なんです。それで、今、ちょっとした治療を行っている最中なんです」

聖こと近藤医師が説明した。

「体験療法といいましてね、患者が一番最後に記憶している体験をもう一度再現する方法なんです」

「ほう、それで、こんな所に?」

「はい、この患者は、夜、イチョウの樹の根元で寝ていたそうです。彼女も一緒だったので、同じ動作をして貰ってます」

「患者さんの為でしたら、仕方ないですね……。しかし、一言、おっしゃってくれたら……」

「すいません。僕がこちらの医師ではないので、ストップがかかるのではないかと……。申し訳なかったです」

聖は警備員に言い訳を言って体よく追い払った。その間にも、マヤは一心不乱に祈っている。
そして、11時になった!




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