時計樹に飛び込んで    連載第15回 




 一方、明治時代、北島伯爵邸では、トラブルが発生していた。
北島真耶伯爵令嬢と執事の藤村は、真澄と共にイチョウの樹に向った。伯爵邸の周りは警護の者達が固めていたが、真耶お嬢様は納屋に忘れ物をしたと言って抜け出した。藤村が提灯を持って付き添っていたので警護の者も安心して通した。
イチョウの樹に着くと真耶お嬢様はイチョウの樹に手を付いた。真澄もまた、イチョウの樹に寄り掛かった。頭を幹につける。真耶お嬢様の呼びかけで行き来出来るなら、気絶しているかいないかは問題ないだろうと真澄は藤村と話していた。もし、うまくいかなかったらその時は、藤村が真澄を殴って気絶させる事になっていた。やがて、真耶お嬢様が別世界のゴン太に向って呼びかけ始めた。

「ゴン太! ゴン太、聞こえる? 帰って来て!」

曇り空である。遠雷が聞こえる。今にも雨が降りそうである。藤村は、傘を持って来るべきだったと思いながら空を見上げた。
その時、ばらばらと数人の男達が現れた。

「お前達は何者だ! ここは北島伯爵邸だぞ! 押し入り強盗か! おおおい、誰か来てくれ!」

覆面をした男達は何も言わず打ちかかってきた。藤村は真澄を殴る為に持っていたこん棒で二人を守ろうとした。真澄は咄嗟に、真耶お嬢様の腰を抱き上げた。高く持ち上げイチョウの樹の枝に真耶を乗せる。

「樹に登れ! 上へ行くんだ! 叫べ!」

真耶は、真っ青になりながらも、イチョウの樹を登った。声を限りに叫ぶ。

「誰か、誰か来てーーー! 助けて!!!」

真澄と藤村はイチョウの樹の根元で暴漢達に囲まれている。男達は手に手にこん棒を持っている。どうやら昨日の連中の仲間らしい。とうとう、伯爵邸にまで押し入って来たのだ。
真澄はしゃがむと、落ちていた石を拾い咄嗟に投げた。子供の頃はピッチャーをやっていた真澄である。石は暴漢の顔面を直撃した。ぎゃあ!っと叫ぶ暴漢。こん棒を落とす。真澄は暴漢が落としたこん棒をさっと拾った。残りの暴漢に立ち向かう。が、真澄の後ろに回り込んでいた暴漢が真澄を殴った。一瞬、気が遠くなる真澄。その時、衝撃が来た。

「うわああ!!」

がっくりと膝をつく真澄。

「ゴン太あああ!」

藤村の声が聞こえたのが最後だった。
あっという間に何かが真澄の頭の中に入って来た。ゴン太の魂だ。と同時に弾かれるように、真澄はイチョウの樹の中に吸い込まれていた。

――速水さん、お願い、戻って!

マヤの声が聞こえた。

――うわああああーー

真澄はもう一度、イチョウの樹の中を猛スピードで落ちていった。



 「ゴン太、しっかりしろ!」

一方、自分の体に戻ったゴン太は、藤村の悲壮な声に我に帰った。目覚めた途端、暴漢に囲まれているのがわかった。

「おんどりゃー」

大きく腕を振り回しながら目の前の暴漢に向って突っ込むゴン太。暴漢の頭を殴りつける。暴漢は二人掛かりでゴン太をやっつけようとする。その間も真耶お嬢様は声を限りに叫んでいる。真耶お嬢様の悲鳴を聞きつけた警護の者が駆けつけて来た。暴漢の一人が、「くそっ!」叫びながら、真耶お嬢様に短銃を向けた。藤村は無我夢中で、その男の腹にタックルした。

「ひけー、ひけー!」

首領格が撤退の合図をする。暴漢達は塀を登って散り散りに逃げて行く。警護の者達は逃げる暴漢に追いすがる。手に手に木刀や縄を持ち、逃げる暴漢達を取り押さえようとする。周りは悲鳴や怒声で満たされた。
やがて邸内の安全が確保されると、真耶お嬢様は樹から降りて来た。

「ゴン太、おまえはゴン太ですね」

ゴン太が頭をこくこくとする。

「はい、お嬢様、おら、やっと目が醒めましたですよ。長い夢を見てましただ」

「そうか」

真耶お嬢様はころころと笑った。


一方、現代では、真澄が自分の体に戻っていた。
真澄が気が付くとイチョウの樹の根元に座っていた。目の前にマヤの顔がある。

「マヤ……」

「速水さん!」

マヤは速水の首に抱きついた。

「速水さんだ! 速水さんだ! ゴン太じゃない!」

マヤは速水を抱き締めたまま、泣いた。ゴン太の世話をしながら、何度絶望感に苛まされた事だろう!このまま、速水が元に戻らなかったら……!しかし、そんな思いは速水の力強い腕に抱き締められて払拭された。
速水もまた、マヤを抱き締め、やっと帰って来たと思った。

「ああ、俺だ。……うまくいったようだな」

真澄は立ち上がった。マヤに手を差し出し、立たせる。その様子に、水城が安堵したように言った。

「おかえりなさいませ。社長」

「水城君、世話をかけた」

聖もまた、頭を下げた。

「精神科医の近藤です。今回、サポートさせていただきました」

真澄はふっと笑った。

「ありがとう、助かったよ」

「では、私はこれで」

「ああ、そうだな……」

真澄は帰ろうとした聖唐人を引き留めた。

「……悪いが、マヤを送ってやってくれないか?」

「速水さん、でも、あたし、もっとゆっくり速水さんと話したい」

マヤが涙を浮かべる。真澄はもう一度、マヤを抱き締めた。

「マヤ、今日はもう遅い。それに、俺は大丈夫だ。君は、ずっと、俺についててくれたんだろう。疲れた顔をしている。今日は帰ってゆっくり休みなさい」

「いや……」

マヤは真澄を抱き締めた。

「いや……、ずっと一緒にいる」

マヤがすすり泣く。真澄はマヤの背中を撫でた。愛しそうに髪に口付けする。マヤの涙をそっと、指で拭った。

「マヤ、一晩なんてすぐだ。明日、また会える」

「そうよ、マヤちゃん。明日になれば、会えるわ」

水城がマヤを促す。マヤは水城の言葉に、名残惜しそうに何度も振り返りながら聖に連れられて病院を後にした。行ってしまうマヤを見送りながら真澄は水城に言った。

「水城君、今の状況は?」

こうして、速水真澄は生還した。


翌朝、回診に来た内科の医者に真澄は、事情を説明した。
真澄は水城が住職から預かった和綴じの帳面を見せ、自身の話を証明してみせた。医者は以前から真澄をよく知っていたので、真澄の話を信じた。そして、精神科の医者に言った。

「速水さんの多重人格は、毒物による一時的な物だったようです。毒物の影響が完全に抜けたので、元に戻ったのでしょう。いやあ、患者が直ってよかったです。そう思いませんか?」

精神科医は残念そうに、内科医に同意をした。速水の多重人格が薬物による一時的な物でなかったら、面白い研究が出来るのにと精神科医は残念に思った。
真澄が病院を出ると、マヤが待っていた。花束を持っている。昨夜はよく眠れたのだだろう、明るい笑顔をしている。

「速水さん、退院おめでとうございます!」

その姿を見て真澄は思った。

――決して、もう2度とマヤの側を離れんぞ。
  何があってもだ。
  マヤ、俺の恋人……。




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