時計樹に飛び込んで    連載第16回 




 真澄はマヤと伊豆の別荘に向けて車を走らせながら言った。

「マヤ、別荘に行く前に寄りたい所があるんだ。つきあってくれ」

速水は海岸沿いの道路を、海を左に見ながら南下させて行った。梅雨の晴れ間、6月の海がきらめいている。速水が向ったのは、ある老女の家だった。幹線道路から外れた伊豆の山間。そこにその人はいた。
藤堂加奈子元侯爵夫人。齢80を数える。夫人の住まいは古めかしい洋館である。そこに、幾人かの手伝いと執事と共に住んでいた。
真澄が藤堂夫人を訊ねると、夫人はにこやかに迎えてくれた。白髪をワンロールにまとめ、グレーのワンピースに身を包んだ藤堂婦人。背中をまっすぐに延ばした立ち姿は年齢を感じさせない。

「久しぶりね、真澄さん」

「お久しぶりです。相変わらずお元気そうで、お若い……」

真澄は差し出された手を取ると、腰をかがめて口付けをした。

「ほほほ、ありがとう」

藤堂夫人は婉然と笑った。

「……、今日は昔話を少し……。こちらは、僕の恋人、マヤです」

真澄はマヤを振り返った。

「あ、北島マヤです」

マヤは恋人と紹介されて、頬を染めた。ぺこりと頭を下げる。

「まあ、おほほほ、そっくりね。あ、初めまして。藤堂加奈子です」

夫人は二人にソファに座るよう言った。

「原田、お茶とアルバムを持って来て。藤村の日記もね」

夫人は執事に柔らかな声で命令する。その動作、一つ一つが美しい。

「真澄さん、……行ってきたのね」

「はい」

真澄は出されたコーヒーをゆっくりと口に運んだ。

「あなたは知っていたのですね。いづれ僕があの時代へ行くと……」

「ええ、知っていましたよ。……、いいえ、違うわね、初めて会った時は半信半疑だった。でもね……、私、お芝居が好きなの。マヤさんが沙都子役でテレビに出た時、私は初めて確信したのですよ。だって、ほら……」

藤堂夫人は写真を取り出した。古い、古い写真だった。洋装した少女が立ち姿で写っている。豪華なドレス。それに負けない気品と強さ。まっすぐにこちらを見る強い光を放つ瞳。わずかに微笑んだ口元に少女らしい優しさが見て取れる。

「これ?」

マヤはその写真を見て驚いた。沙都子役をやった時の自分にそっくりだ。

「北島真耶伯爵令嬢、私の祖母よ。ふふふ、あなたにそっくりでしょ」

マヤは頷いた。さらに藤堂夫人はもう一枚写真を出した。少女が椅子に座り、傍らに男が立っている。真澄にそっくりだ。いや、真澄を若くしたらこんな感じだろうかとマヤは思った。

「その男は執事の藤村三郎。彼は生涯、祖母に仕えたのよ。祖母は上杉の家をよく守った。4人の子を産み、それぞれ立派に育て上げた。晩年はこの伊豆で過したのよ。私は祖母のお気に入りで、よく聞かされたわ。真澄さん、あなたの話を。別の世界から来た男だと思っていたのに、未来から来た男だったって。こんな事なら、素直に帰すんじゃなかったってね。閉じ込めて、未来がどうなるか話させるんだったって。ふふふ、おばあさまはよくそんな冗談をいいましたよ」

「しかし、ゴン太がいたでしょう」

「……ええ、そうね、ゴン太がいた。藤村はゴン太から随分、いろいろな事を聞き出したみたいでね。日記に書いてあったわ。だけどゴン太はゴン太。彼には見て来た物、聞いた物の価値がわからなかった。情報は断片だけだと危ういわ。それが藤村にはわかっていたのでしょう。……日記によると、ゴン太は夢の話として時々周囲に漏らしていたみたい。大きな塔があったって……」

藤堂夫人は日記に挟まっていた紙を取り出した。広げると東京タワーの絵だった。

「さ、あなたの話を聞かせて頂戴。向うはどんな感じだったの」

真澄は、向うで体験した話を夫人に話した。隣で聞いているマヤも真澄の話をわくわくしながら、聞いていた。何と言ってもリアル明治時代を体験して来たのだ。興味津々だった。

「歴史に出て来るような人物には会えませんでした。向うでの滞在期間が短かったですし、所詮、御者ですので……」

「私の曾祖父はどんな感じの方でした?」

「薩摩の出身のわりには、方言を使っていませんでした。外交の仕事の為に言葉を矯正したように思います。貫禄のある方で、政治家でありながら家庭を大事にする、そういう方でした。夫人は淑やかな方で、洋装もとてもよく似合っていました」

真澄はコーヒーを一啜りした。喉を湿らせる。

「この建物は、伯爵邸とよく似ていますね。モデルにされたのですか?」

「ええ、当時の伯爵邸を描いた絵が残っていたから、正面をね……。ふふふ、真澄さん、あなた、言いたい事があるんでしょう」

「ええ」

「当てて見せましょうか?」

真澄は笑った。

「いいえ、それにはおよばない。お見通しのようだから白状しますとね、僕に競馬に参加させたのは、わざとですね。その必要はなかったのに! 当時から疑問に思っていたのですが、あの時代に行ってわかりましたよ」

「ほほほ」

夫人は優雅に笑った。マヤには訳がわからなかった。二人共何の話をしているのだろう……。

真澄の伊豆の別荘。
それは、藤堂夫人から買った物だった。
大学を出たばかりだった真澄。まだまだ、力は弱く、英介の命令を一方的にきくばかりだった。やりたくない仕事も英介の命令で仕方なくやった。あの会社を潰せと言われれば、言われた通りに実行した。心の奥深く英介への復習を誓ってはいたが、それを表に出す事も、自分自身を表に出す事もなかった。眠ると真澄本来の優しさと、英介に命令されてやった事への嫌悪感がないまぜになり悪夢を見た。当時、真澄と関係を持っていた銀座のママ、薫は、真澄の様子に危機感を持った。どこか、息抜きの出来る場所が無ければ、真澄の精神が破綻するのではないか、薫は危惧した。そこで、薫は真澄の為に伊豆に別荘を買おうとした。しかし、真澄は若者の矜持から薫の申し出を断った。
だが、真澄は薫に連れられて行った伊豆で、海原の大きさと空の青さに魅了された。そして、海岸沿いにドライブをしている時、今所有している別荘を見つけた。強烈にその別荘をほしいと思った。今ではなくとも、何れここを自分の別荘にしたいと。薫は真澄の気持ちを聞くと、別荘の持ち主である藤堂夫人を紹介してくれた。藤堂夫人は真澄に会うと驚いた表情を浮かべた。そして、あの別荘がほしいなら、地元のお祭りで行われる競馬に出て自分の持ち馬を優勝させるように言った。

「もし、勝ったら……、1/3の値段であの別荘を譲ってあげるわ」

「わかりました。必ず、勝って見せましょう」

真澄は馬術は得意だった。しかし、藤堂夫人の持ち馬はかなり癖のある馬だった。その上、決して足の早い馬ではなかったのだ。ただ、元侯爵夫人の持ち馬だけあって、血統は良かった。真澄は、休み毎に伊豆を訪れ馬を調教した。そして、祭りの日。地元の農家や馬術クラブから10頭程の馬が集まったレース。真澄はかろうじて勝って、藤堂夫人から別荘を購入した。
真澄は伊豆の別荘をこうして手に入れたのだった。

藤堂夫人は、祖母の話から速水真澄という人物に興味を持っていたが、年寄りの繰り言だと思っていた。別荘を買いに来た真澄を見てまさかと思った。手元に残る藤村の写真にそっくりだったのだ。それでも、他人のそら似という事もある。藤堂夫人は、祖母の話の中で、真澄が馬の扱いに慣れていたという話を聞いていた。藤堂夫人は真澄を試したくなった。それで、競馬で優勝する条件を出したのだ。本当に馬の扱いがうまいのだろうかと……。

「あなたとは不思議な縁ね、真澄さん、藤村の日記、これ、あなたに上げるわ」

真澄は別れの挨拶をして、藤堂夫人の元を辞した。


マヤは真澄の別荘を一通り見て回った後、真澄に言った。

「ふーん、つまり、この別荘はあの夫人から買った物で、夫人は速水さんが向うの世界で会った伯爵令嬢のお孫さんだったって事ですね」

「ああ、そうだ。夫人は……、だから、俺に売ってくれたんだと思う。気難しい人で、なかなか売ってくれないと評判の人だったからね」

「……、藤村さんの日記、なんて書いてあるんですか?」

「藤村は、まめに日記をつけていた。俺が知りたいのは舞踏会の顛末だ。北島真耶伯爵令嬢は、上杉家に嫁いだのだから、きっと、見合いはうまく行ったと思うんだが……」

しかし、その時、古びた日記の裏表紙が破れて、メモが落ちた。マヤはそれを拾い上げて驚いた。

「これ、速水さんの字……」

そのメモには、次のように書かれていた。

  「藤村三郎殿
     この手紙を見るころ、僕は元の世界に戻っていると思う。
    君に頼みがある。橘寺に僕の祈祷を頼みたい。速水真澄という名が出るようにしてくれ。
    100年後の未来、北島真耶伯爵令嬢と藤村真澄について、尋ねてくる人間がいれば、
    11時にイチョウの樹で祈祷を行ったと住職に伝えさせてくれ。
    僕の世界に来たゴン太はきっと、お前達の話を周りの者にするだろう。橘寺の名前をゴン太
    が、言うかどうかは賭けだが、僕は賭けてみたい。
    未来から来た事を黙っていてすまなかった。未来の話をする訳には行かないので黙っていた。
    もし、歴史が変われば、僕自身が消えてしまうかもしれないからだ。
    世話になった礼に一つ助言しよう。
    僕が真耶お嬢様の見合いを失敗させようと思ったら、ドレスに細工をする。
    女中が金を貰って細工をしているかもしれないから気をつけてくれ。
    予備のドレスを洋装屋に作らせておいた方がいいかもしれない。
    健闘を祈る。
                                   速水真澄」

真澄はこちらの世界に戻る日の夕方、真耶お嬢様にゴン太が戻ったらこの手紙を藤村に渡してほしいと言って預けていたのである。
そして、真澄の予想通り、ドレスに細工をしようとした女中が掴まった。また、真耶は舞踏会会場に入る直前、男から泥水をかけられたが、元々予備のドレスを着ていて事なきを得た。あのレースで飾られた豪華なドレス。藤村は真耶に会場内の控え室で着替えさせた。
真耶のドレス姿は、会場の注目の的だった。フランス大使が言った。

「オ嬢サン、アナタノヨウニ、気品ノアル美シイ方ニ出会ッタ事、アリマセン!
 アナタノドレス 素晴ラシイデス!
 ドレス ノ スケッチ、本国ニ送ッテモイイデスカ?
 キット来年ノ モード ハ レースガ流行ルデショウ」

真耶はにこやかに頷いた。
一方、九条敦子のドレスは別の意味で豪華だった。十二単をイメージしてデザインされたドレスだったのだ。その為、十二単に使われる重い絹地で作られていた。真耶の軽やかなドレスに比べ、格段に重たいドレス。九条敦子は、ドレスの重さに一曲踊っただけで息が切れ、顔を真っ赤にして椅子に座り込んでしまった。
上杉鷹時は真耶に一目惚れ。真耶もまた上杉鷹時の人柄を好ましく思った。

「外交のお仕事は大変なのですか?」

「ええ、大変ですが、国を代表して仕事をしていると思うとやりがいがあります。もし、あなたが私と結婚すれば、あなたには仕事を手伝ってもらうようになるでしょう。あなたは外交の仕事に興味がありますか?」

真耶は頷いていた。

「はい、お父様から外国の優れた文明の話を聞いています。進んだ国が我が国に侵略しないよう国民の利益の為に諸外国と折衝するのだと父が胸を張って申しておりました。私、国の為に働きとうございます」

真耶は自身の情熱を傾ける仕事を見つけた。外交を通して国の為に働く。真耶が藤村への思慕を胸の内に深く納め、藤堂との結婚を決意したのは、こうした理由からだった。かくして見合いは成功した。
真耶と藤村の幼い恋は、それぞれに静かな愛へと昇華され、生涯互いに良き女主人であり、良き執事であった。


別荘のプライベートビーチを二人で歩くマヤと真澄。マヤは真澄の手に指を絡めた。大きく腕を振る。

「速水さんが帰って来てくれて良かった〜。だって、ゴン太さんったら、女の人から流し目をされて喜ぶんだもん。あたし、凄く嫌だった!」

「くっくっく、男というのは普通そうだ」

「は、速水さんもそうなんですか?」

「俺は……」

真澄はふっと笑った。

「君一筋だよ」

真澄は決め台詞を言うとマヤを抱き寄せて口付けしようとした。ところが、照れくさかったマヤは「やだー!」と言って真澄を思いっきりどついた。普段、マヤからどつかれても動じない真澄だったが、足場が悪かった。思いっきり、波間に尻餅をついた。ずぶぬれである。

「くっくっくっく、はーはっはっはっは!」

真澄は笑い出していた。腹の底から笑う。マヤは、はっとした。ゴン太の笑い。屈託の無い、無邪気な笑い! 

――速水さんもこんな風に笑うんだ!

マヤは嬉しくて笑い出していた。
いつまでも、二人の笑い声が砂浜に響いていた。




エピローグ



大都芸能社長室。
速水は新聞の隅に載った小さな記事を読んでいた。

「○○病院、樹齢300年を越えるイチョウの樹(通称「翁の樹」)落雷により消失」

――あの樹が無くなったか、きわどい所だったな。

真澄は、まるで天が、自ら時空の裂け目を繕ったようだと思った。真耶お嬢様の声は、もう二度と時を超えて届くまいと真澄は思った。

「何か?」

秘書の水城が声をかける。

「うん? ああ……、あのイチョウの樹が落雷で消失した。あぶない所だった」

「……世の中には不思議な事がたくさんありますね。社長、こちらが調査結果です」

水城は報告書を、速水の前に差し出した。

「どうだった?」

「はい、北島マヤと伯爵家とは何のつながりもありませんでした」

「そうか……」

「ただ……、報告書にも書きましたが、北島伯爵は薩摩の武家の出身でしたが、夫人の方が……」

「やはり……」

「はい……、夫人は結婚後、名前を富士子と変えています。幼少時の名前を……」

水城は報告書をめくって、夫人の略歴をしめした。

北島富士子伯爵夫人
幼名:阿古夜。
出身地:奈良県紅梅村、紅谷。
父:庄屋の息子、清平衞
母:梅川神社、巫女 綾音

「やはり、真耶お嬢様は女神の末裔だったか……」

報告書から梅の香りが立ち昇った。






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