時計樹に飛び込んで    連載第2回 




 「社長!」

水城の悲鳴が上がった!

マヤと二人、大都芸能まで戻って来た速水は、エントランスに出迎えに出ていた水城に社用車を用意させマヤを乗せた。マヤが行ってしまうのを見送ると速水は水城を従えて社長室に戻った。
そして、社長室に戻るなり、速水はソファに倒れ込んでいた。

「水城君、気分が悪い。しばらく横になる。いいな、誰にも知らせるなよ。特にマヤには絶対だ。絶対に知らせるな!」

「社長! ……承知しました。この後のスケジュールは総てキャンセルします。社長……、もしかしてマヤちゃんといる時から気分が悪かったんですか?」

しかし、速水は水城の質問に答えられなかった。吐き気に襲われた速水は、社長室に併設された洗面所に駆け込んだ。胃の内容物をトイレに流すと少し楽になったが、それでも気分の悪さは変わらない。

「社長、何か悪い物でも……」

「はぁ、はぁ、……いや、……これ……、はぁ、これだ……」

肩で息をしながら、真澄は例の小瓶を内ポケットから取り出した。大きく息を吐き出す。水城が差し出した水を飲み、更に胃の内容物を総て吐き出す。発作が治まったのか、吐き出す物が無くなったのか、速水を一息ついてソファに横たわった。しかし、額から脂汗がにじみでている。

「自白剤系の薬品だ。恐ろしく効き目が強い。香水と言っていたからな、アルコールが入っている筈だ。この成分を早急に分析させろ。この気分の悪さはこの液体のせいだ」

「社長、一体、この小瓶は誰から」

「青木君と水無月君だ。水無月君の知り合いの香月由香里という女性が作ったそうだ。俺の本音を聞きだす為に買ったそうだが……。しかし、効き目が強すぎる。一嗅ぎしただけで、俺は本音を言わさせられた。この気分の悪さは副作用かもしれん。それを嗅いでから、30分以上経っている。自白剤だけなら、もう薬の影響は無い筈だ。それなのに、気分が悪すぎる。おかしいんだ……。いいか、マヤには絶対に知らせるなよ」

それだけ言うと、真澄は意識を失った。
残された水城は、秘書課全体に箝口令を敷くと、すぐに医者を呼んだ。結局、速水は入院。昏睡状態に陥った。水城は、医者に事情を説明。薬物の専門家に大至急、香水の成分を分析させた。
同時に水城は水無月さやかと連絡を取ると、香月由香里についてさりげなく聞き出した。

「……由香里さんは、表参道から三筋程中に入った、えーっと、雑居ビルの3階でアロマショップ『香月』を経営してるんです。私たちの公演を見に来てくれたファンの方で、いろいろ話している内に、お近づきになって……。連絡先ですか、○○……」

こうして手に入れた情報を元に水城は秘書課の人間に件の店を尋ねさせた。しかし、そこは藻抜けの空だった。
店を尋ねた秘書課の者は、切羽詰まった声で水城に連絡を入れた。

「水城さん! 『香月』なんてお店、ありません。でも、一階の古着屋の店主が覚えてました。ビルの郵便受けに『香月』宛のダイレクトメールが入ってましたから、このビルで間違いないと思います」

水城は背中を寒い物が走るのがわかった。水無月さやかの話では、香月由香里という人間は40代の女性で親切そうな人間だったという。趣味が高じて店を開いたが、店も趣味のようにやっていたという。水城は香月由香里の自宅を探したが、結局分からなかった。そうこうしている内に香水の成分が分析された。だが、珍しい成分が検出され、事態は混迷を深めた。

速水のこの状態は外部には決して洩れる事はなかったが、速水の影の秘書、聖は速水からの定期連絡が途絶え不信に思った。結果、聖は速水が昏睡状態に陥っている事、どこの病院に入院しているか、原因は何か、大都芸能がこの状態にどのように対応しているか調べた。そして、自身の裏のつてを辿り主人の命を助けるべく動き出した。

一方、マヤは……。
真澄が倒れた時、マヤは稽古場の前だった。社用車から降りようと身をかがめる。バックから何かが滑り落ちた。真澄から貰った携帯ストラップ。小さな星のチャームがついている。ストラップが切れて、チャームが落ちた。地面に転がる小さな星。堕ちた星。マヤは胸騒ぎがした。チャームを拾い上げ、握りしめる。マヤは真澄に電話をしようかと迷った。

――さっき別れたばかりなのに……。速水さん、うるさいって思うかな……。

マヤはメールを打つ事にした。

   速水さんから貰ったストラップの糸が切れたの。
   なんとなく不安になって、、、。
   お仕事、がんばって下さい! マヤ

マヤはすぐに速水から返事が来ると思っていた。自分の不安な思いを真澄はすぐに察してくれて、安心させてくれる。マヤはメールを送信すると少し不安が和らいだ。


一方、昏睡状態に陥った真澄は、体から魂が抜け出していた。真澄はふわりと病室の天井辺に浮いてしまった自分に気が付いた。足下にはベッドに横になっている自分の体が見える。

――俺は死んだのか? いや、違うな、まだ、死んでない。

真澄は自分の体に戻ろうとした。
しかし、その時、真澄は何か強い力に引っ張られるのがわかった。
病院の敷地内に何本かイチョウが植わっている。樹齢300年を越える樹もあった。その樹は「翁の樹」と呼ばれていた。真澄の病室はそのイチョウの樹のすぐ側だった。今、風が吹きイチョウが揺れた。途端に速水は樹に引き寄せられた。樹にどんどん吸い込まれる速水。とうとう、「翁の樹」に取り込まれてしまった。樹と同化した途端、速水に何かが起きた。そして……。

――なんだこれは!

速水の目の前で凄いスピードで昼と夜が繰り返されて行く。速水は猛スピードで過去へ向っていた。
速水は穴に落ちて行くような浮揚感に酔った。自身の悲鳴が聞こえる。もう一度、速水は気を失っていた。


「助けて!!」

速水は少女の助けを求める声で目が醒めた。目の前に少女の顔があった。

――マヤ!

速水はイチョウの樹の中からマヤとそっくりな少女の顔を見ていた。





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