時計樹に飛び込んで    連載第4回 




 ――おい、俺の声が聞こえるか?

横になった藤村は頭の中に響く声に驚いた。

「なんだ、今のは? 空耳か?」

藤村は頭を振った。

――おい、空耳じゃない。俺の声が聞こえるだろう。俺はお前の体の中にいる。

「なんだ! 今のはなんだ!」

――落ち着いてくれ!

「男の声が聞こえる! おい、誰だ! 誰か部屋の中にいるのか?」

藤村は布団の上に起き上がると、きょろきょろとあたりを見回した。
藤村の部屋は洋館の西側に残る旧北島邸、武家屋敷の佇まいを残している。藤村はその一室を与えられ畳の上に布団を敷いて寝ていた。
藤村の主な仕事は真耶お嬢様の世話と身辺警護である。北島家全般の家政は家令の森山が仕切っていた。藤村は森山の縁戚にあたる。真耶お嬢様の次に、長男が産まれると、伯爵は真耶お嬢様に子守り兼遊び相手を探した。その時、年齢的にちょうどよかった藤村が選ばれたのである。真耶お嬢様5歳、藤村10歳の出会いだった。藤村は当時の慣習で祖父から素養を学んでいたが、北島家に来てからは教育熱心な北島伯爵によって、英語、フランス語を教え込まれた。更に、真耶お嬢様警護の為に剣道を中心にした武術、そして、怪我をした時の為に簡単な医術、更に叔父の森山から簿記を含めた家政を学んでいた。

藤村は頭の中に声が聞こえた時、御者のゴン太がいたづらを仕掛けて来たのかと思った。

「ゴン太だな? また、つまらんいたづらをして! どこだ?」

藤村は、押し入れを開けたりふすまを開けたりしたが、人の気配がない。

――落ち着け、俺はおまえの中に取り込まれたんだ。今朝、おまえが気絶した時に!

藤村は、今朝、気を失って気が付いた後、妙な声が聞こえたのを思い出した。

「なんだと! では、あの時、頭の中で声が聞こえたように思ったが、気のせいではなかったのだな……。おまえはなんだ? 何故、私に取り憑いた?」

――取り憑いた? うーむ、取り憑いたというのはいい表現だ! が、俺の意志でおまえの体の中に入ったのではない。こんな事を言っても信じないだろうがな、俺はイチョウの樹に取り込まれていたんだ。おまえ、イチョウの樹の根っこに頭をぶつけて気を失ったろう。それで、おまえの体に移動したのだと思う。

藤村は、あまりの出来事に俄に信じられなかったが、今朝、気絶した時の嫌な感じを思い出し、或は本当かもしれないと思った。

「おまえ、名前は?」

――俺は速水真澄。元の体に戻りたいんだ。協力してくれないか? おまえだって身の内に俺がいたのでは困るだろう。

「もちろんだ! すぐに私の体から出て行ってほしい!」

――だったら、俺を追い出す方法を調べてくれ!

「ちょっと待て、そんな事、わかるわけないだろう」

――……確かに、しかし……、さっき取り憑いたと言ったな。……霊能者にお払いをして貰えばいいかもしれん。

「なるほど、ということは、あんたは無害なんだな」

――当たり前だ! 何を考えている。

「いや、悪霊かと思って……」

――悪霊!? 悪霊ではないが、しかし、俺の魂があんたの体の中にあるというのはやはり尋常ではないだろう。

「ああ、私もそう思う。……ところで、おまえ、私の考えが読めるのか?」

――ああ、読める。しかし、俺は他人のプライバシーを覗き見したりせん。安心していいぞ!

「ぷらいばしい、なんだ? それは?」

――個人的事情って奴だ。例えば、おまえが密かに真耶お嬢様に恋をしているとかな。

「な! 何を言う!!! お嬢様は大切なお方だ! 恋などと、不埒な考えはないわ!」

――おい、大声を出すな! 周りに聞こえるぞ!

「う!」

――隠すな、誰にも言わん。

「しかし、俺の体から追い出されたらおまえはどこに行く? 人に戻れるのか? 人になったら私の事を或る事無い事言いふらすかもしれん」

――安心していいぞ。俺の体はこの世界にはない。俺は、もう一度、イチョウの樹に戻りたい。恐らく、あそこが出入口だ。元の世界に戻るにはもう一度イチョウの樹に入るしかないと思う。

「……では、霊能者を見つけてイチョウの樹の前でお払いをして貰えばいいのだろうか?」

――わからん。やるだけ、やってみてくれないか?

「はあ、しかし……、何故私がこんな目に」

――そういうな、俺はこれでも有能な人間なんだ。何か役に立てるかもしれんぞ。

「……、何が出来る」

――俺は、芸能社の社長をしていた。芸能社といっても、いくつかの劇場を持っていたし、複合企業のトップだったんだ。商売の事ならまかせてくれ。

「複合企業、なんだそれは?」

――いくつかの全く別の事業を行う企業が連携して利益を上げる事だ。

「よくわからんが、豪商達のような物か?」

――まあ、そんなもんだ。それと、今日習っていたダンスだがな、ワルツなら踊れる。アドバイス……、では通じんか、助言するとだな、女性を意識して腰が引けてたぞ。あれでは踊れん。

「よ、よけいなお世話だ!」

――ふーん、思い当たるのだな。まあ、いい。ダンス教師はアメリカ人だったな。英語もしゃべれるぞ。

「それなら、私も話せる」

――ほお、優秀だな。後、そうだな、ドイツ語とフランス語も話せる。とにかく、何か困った事があったら言ってくれ。力になろう。

「ドイツ語とフランス語? それは凄い! 一体、どこで習った?」

――言ってもおまえにはわからん。

「おまえ、もしかして洋行帰りの幽霊か?」

――洋行帰りの幽霊? 何を言う。俺はまだ、死んでないぞ。というか、死んでないと思う。

「生き霊か……。それより、疲れた! 悪いが、私は休みたい。話は明日にしてくれ、頼む」

――俺が身の内にいるせいで疲れ易いのかもしれん。ゆっくり休んでくれ。

二人は取り敢えず休んだ。今は寝る以外何も出来なかった。



一方、速水真澄の体がある21世紀の世界では、女優北島マヤが不安を抱えて水城に電話をいれていた。

速水が昏睡状態に陥ったその夜。
マヤは、速水からの連絡が無いのを不信に思った。マヤは出演中の芝居が終わると早速、速水に電話した。しかし、誰も出ない。留守電にメッセージを入れる。更にもう一度、真澄にメールを入れたのだが、1時間待っても連絡はなかった。マヤは不安を抱えたまま、床についた。そして翌朝、もう一度電話をする。しかし、真澄は出ない。マヤはとうとう秘書の水城に電話をした。水城はマヤに真実を教えなかった。速水から固く口止めをされていたからである。

「マヤちゃん、よく聞いて! 真澄様は極秘である所に行かれたの。誰にも行き先を言うなと言われているの。しばらくは帰って来られないわ」

「じゃあ、速水さんは元気なんですね」

「え? 元気って、マヤちゃん、何故、元気なんて言うの?」

「うーん、昨日、その……、なんていうか、速水さんから貰った携帯のストラップが切れて落ちたの。それで、虫の知らせかなって、……速水さんが元気ならいいの……。水城さん、しばらく帰って来られないって……、いつまで?」

水城は考えた。

――今の社長の状態をマヤちゃんに言ったら、舞台に影響するかもしれない。

「マヤちゃん、あなたの公演、もうすぐ千秋楽よね。それが終わる頃には連絡出来ると思うわ」

「でも、速水さん、何も言ってなかった」

「急だったの、ね、マヤちゃん、公演が終わるまで待って頂戴。お願い」

マヤは仕方なく承知すると電話を切った。





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