時計樹に飛び込んで    連載第5回 




 翌朝、藤村の体に落ち着いた速水真澄は、藤村を急かした。

――早く霊能者を探してくれないか?

「悪いが、私の次の休みは六日後だ。それまで待ってくれ」

――そんな悠長な事はしておれん。頼む、俺には待ってる人がいるんだ。

「奥さんか?」

――いや、恋人だ。

「恋人? 想い人の事か? 許嫁か婚約者か?」

――……まだ、結婚は申込んでいない。しかし、向うも俺を好いてくれている。心配させたくないんだ。頼む、早くしてくれ。

藤村は、迷ったが、今日は月曜日であり、真耶お嬢様を学校に連れて行けば、その後、しばらく自由時間が取れる。藤村は知り合いの住職に相談する事にした。

朝食の席で、真耶お嬢様は上機嫌である。

「お母様、昨日のダンスは楽しかったですね。あたしはダンスに偏見をもっていました。殿方に手を取られるのが嫌だと思っていましたが、長い手袋をはめていれば、全然気になりませんでした」

「ほほほ、真耶はすっかりダンスが気に入ったようですね」

真耶の様子に伯爵も機嫌良く話しかける。

「そうだな、これからは日曜日がダンスレッスンの日だ。しっかり習うんだぞ。それと、藤村。真耶のドレスを急がせなさい」

「はい、旦那様。それでは、真耶お嬢様を学校に御送りしました後、洋装屋によって参ります」

「ああ、そうしてくれ」

朝食が終わると、藤村は馬車で真耶お嬢様を学校に送って行った。
その帰り、藤村は洋装屋によってドレスの仕上がりを見た。7分方仕上がってるようだ。

「どうです? いつ頃、仕上がりますか?」

「はい、ただいま、お嬢様のドレスに使用するリボンが入って来るのを待っている所でございます。そちらが入荷すればすぐにでも」

「どんなリボンですか?」

店員は、藤村に見本帳を見せた。さらに、ドレスのデザイン画を見せ、どのようにリボンを使うか説明した。胸元に大きめのリボン。ドレスの至る所にリボンをあしらい、さらにそのリボン同士を繋いで行くようだ。
真澄は藤村の頭の中で言った。

――リボンもいいが、レースはダメか聞いてみろ。レースだ。

藤村は突然、聞こえた真澄の声に体をびくりと震わせた。何の事かわからず、真澄の言葉を反復していた。

「れ、れーす?」

店員はびっくりした顔をした。

「レースでございますか? 藤村様が洋装にお詳しいとは思っていませんでした。しばらくお待ち下さい」

店員は奥のケースからレースの見本を持って来た。いろいろなレースをリボンの代わりにあててみる。更に手持ちのリボンと組み合わせた。

「こちらのレースなどいかがでしょう。リボンよりぐっと豪華になります。それに、レースを使うのであれば、手持ちのリボンと組み合わせて使えます。これなら、すぐに仕上げられます。藤村様、よく気が付かれましたね」

店員は無骨な藤村が、およそファッションに縁遠いように見える藤村が、レースを望んだのでびっくりしたようだった。結局、ドレスはレースで仕上げる運びとなった。
洋装屋を出ると、藤村は知り合いの寺へ向おうとした。御者のゴン太に声をかける。ゴン太は筋肉隆々とした大男で、伸ばした髪を後ろでまとめている。まとめきれなかった前髪が額の上で飛び跳ねている。体も大きく腕力もあるゴン太だが頭が少し弱い。が、道筋や地図は一目で覚えた。馬の扱いもよくするので、伯爵は御者の仕事を与えている。
御者のゴン太は、藤村から行き先を告げられると

「藤村、怠けるのかい。私用に、馬車は使えないよ」

と言った。藤村は笑いながら答えた。

「いいから、寺町にある橘寺にやってくれ。お嬢様の健康を祈って貰うのだから」

「お嬢様の為なら、問題無いさ」

ゴン太は藤村の言葉に、にこにことした。ゴン太も真耶お嬢様を大好きだったのだ。お嬢様の健康祈願なら自分が行きたいと思った。ゴン太はハーネスを一振りして馬車を出した。

橘寺に着くと、先客がいた。
どこか名のある商家のお内儀らしい。若い娘と共の者を連れて本殿から出て行く所だった。お内儀は藤村の前を目を伏せて通り過ぎたが、若い娘はちらりと藤村を見ると、若い娘にありがちなくすくす笑いを浮かべ、お内儀の後を付いて行った。藤村は若い娘がくすくすと笑ったのは自分の洋装が珍しいからだと勝手に解釈した。21歳の藤村には若い娘の気持ちはわからない。いや、男に取って永遠の謎だろう。しかし、真澄は、藤村より世慣れていたので、若い娘が藤村に気があるのがわかった。

――あの娘、おまえに気があるようだな。

藤村は真澄の言葉にむっとした。

「つべこべ言うと、このまま帰るぞ」

―― ……。

真澄は黙った。さすがの敏腕社長も、この時代、この状況では手も足も出なかった。
藤村は住職に挨拶をすると、真耶お嬢様の健康祈願の祈祷を依頼した。

「お嬢様はまもなくお見合いをされます。どうか、ご病気などなされませんようにご祈祷をお願い出来ませんでしょうか?」

住職は藤村の願い通り祈祷を約束した。藤村は住職と世間話をした後、霊が体に入っていると相談した。

「なんと! そのような事が! うーむ、奇々怪々じゃのう。普段のそなたを知らなんだら、気がふれたと思う所だろう。その者もそなたの体から出たいと申しておるのじゃな」

「はい、早く帰りたいと……」

「しかし、霊なら簡単に肉体から抜け出せる筈じゃがのう。そなたとその者は何か縁があるのかもしれんのう」

――藤村、お前の体は俺の若い頃にそっくりなんだ。

「霊が申しますには、霊の、霊の名前は速水真澄と名乗っております。えー、速水の申しますには、速水の若い時に私はそっくりなのだそうです」

住職は、しばらく考えていた。

「……藤村、一度、イチョウの樹に頭をぶつけてみたらどうじゃ」

「は?」

「あの樹に触って入り込まれたなら、あの樹に触ってもう一度気を失えば、出て行くかもしれん」

「しかし……」

「頭はぶつけずとも、今夜、イチョウの樹の根を枕に寝てみるがよい」

「はあ、イチョウの樹を枕にですか?」

「何でも試してみる事じゃ。霊能者はこちらで探しておこう」

住職の言葉に半信半疑ではあったが、藤村は挨拶をすると寺を後にした。

――藤村、今夜、イチョウの樹を枕に寝てみてくれるか?

「ああ、そうしてみよう」

その夜、皆が寝静まった頃、藤村は防寒着を着込むとこっそりとイチョウの樹の根元に行った。ゴザを敷きイチョウの根を枕にする。見上げると、月が中天にかかっていた。

――月がきれいだな……。

「ああ、そうだな、こんな事がなければ庭で寝るなんて考えもしなかったな」

――すまんな。手数をかける。

「仕方がないだろう、あんたのせいじゃない。……あんた、魂だけって体の方はどうなってる。本当に死んでないのか?」

――俺がイチョウの樹に取り込まれた時はまだ、生きていた。俺は……、ある薬品を嗅がされたんだ。
  恐らくそれが元で、意識を失ったんだ。

「薬品?」

――ああ、、。

真澄は藤村に香水の話をかいつまんで話した。

「おまえ、昼間のレースの件といい、今また香水の話といい、お前の世界は欧州のような所か?」

――ああ、みな洋服を着て、石の建物に住んでいる。木造の建物もあるが、石の建物の方がずっと多い。雰囲気は欧州に近いな。

真澄は用心して自分が未来から来た人間だと悟られないようにした。真澄は普段から自分の心を隠すようにして生きて来た。霊体になっても心のガードは固く藤村には真澄の心はわからないようだった。
藤村が月を見上げながらうとうとと寝かかった時、声が聞こえた。





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