時計樹に飛び込んで    連載第6回 




 「藤村、ここで何をしている!」

真耶お嬢様だった。お嬢様はブラウスに長いスカートを履き、ショールを羽織っている。藤村は真耶お嬢様の洋装姿を珍しいと思った。
そのお嬢様が腰に手を宛て藤村の前に仁王立ちしている。

「お嬢様!」

「何故、こんな所で寝ている!」

「しーっ、お嬢様、静かにして下さい。お嬢様こそ、こんな時間に何をしているのです!」

「あたしは……、部屋でダンスの練習をしていたのです。ちょっと休憩して月をみていたら、そしたら、庭を男が通って行くではないか。よくみたら、おまえだった。何をするのかと思えば、こんな所に寝そべって! 何やら独り言をぶつぶつと言っておる! ここで寝るのか? 風邪を引くぞ!」

藤村は、見つかった時の為に用意しておいた言い訳を言った。

「お嬢様、実は、お嬢様の健康を祈願しに寺へ行った所、このイチョウの樹の根で寝ると願いがかなうと言われまして……」

「そんなのは迷信よ。あたしはこんなに元気なんだもの。おまえがこんな所で寝る事はない」

「しかし、お嬢様の為なのです。一晩だけで良いそうです」

「そんな迷信、聞く必要はない。風邪でも引いたらどうするの!」

「……わかりました。お嬢様がお嫌なら止めましょう」

その時、頭上でがさごそと音がした。

「誰だ!」

藤村は咄嗟に真耶お嬢様を抱きかかえると根元から離れた。

「おいらです、ゴン太です……」

ゴン太の声が頭の上から振って来た。かと思うと本人がするするとイチョウの樹から降りて来た。

「ゴン太か、脅かすな……」

「お嬢様、驚かしてすみませんでした。月がきれいでしたんで、つい、樹に登って見てたんです。そしたら藤村が来て、おいら、降りるに降りれなくなって……」

ゴン太は大きな体を小さくして頭を下げた。

「ゴン太、良いのです。こんなに月が綺麗なのです。いつまでも眺めたくなります。しかし、もう遅い。おまえも部屋に戻って休みなさい。さ、藤村、部屋まで送っておくれ」

「はい、お嬢様」

ゴン太を残すと真耶お嬢様は藤村と共に部屋に戻った。ゴン太は二人を見送ると先程まで藤村が寝ていた場所にごろりと横になった。

「ここで寝るとお嬢様の健康を祈る事になるんだな」

ゴン太はイチョウの樹の根を枕にすやすやと眠りについた。


一方、藤村は、母屋に入ると燭台に火を灯した。

「さ、お嬢様」

振り向いた藤村ははっとした。月明かりでは気づかなかったが、真耶お嬢様のブラウスの喉元がわずかにはだけ、鎖骨が見えた。白い肌に立ち上る色香。藤村はあわてて目をそらした。どきどきと脈拍が上がる。

――お嬢様は、一体いつの間にこんなに大人になられたのだろう。

真澄は藤村の心の声を聞いていたが、知らぬフリをしていた。他人のプライバシー等どうでも良かった。真耶お嬢様がどんなにマヤに似ていようと決してマヤではないのだ。藤村が身分違いの恋に悩んだ所で、真澄に取っては所詮他人の恋だった。
藤村は真耶お嬢様の前に立ち、2階の部屋まで誘導した。前を歩く藤村に真耶お嬢様が話しかけた。

「藤村、おまえはあたしの見合いの話を知っていた?」

藤村は振り返った。

「はい、お嬢様、昨日、旦那様からお伺い致しました」

「……、どう思う?」

「……上杉と言えば、謙信公以来の名門。お嬢様に相応しいお相手かと……」

真耶お嬢様は小さくため息をついた。そこには、樹から降りれなくなって泣いていた子供っぽい顔はない。気絶した藤村を見て藤村への愛を自覚した真耶お嬢様がいた。大人びた表情、女性としての階段を一つ登った顔があった。
真耶お嬢様は心の内で決意を固めた。

「……、藤村、頼みがあります」

「はい?」

「あたしが結婚したら……、嫁ぎ先におまえを連れて行こうと思います。ついて来てくれますね」

「お嬢様!」

藤村は立ち止まり振り返った。そして、深々と頭を下げた。

「お嬢様、それは身に余る光栄。不肖藤村、喜んでついて参ります」

真耶お嬢様は藤村の言葉に嬉しそうに笑った。長い廊下を燭台の灯りの中、二人は歩く。暖かい沈黙が流れる。部屋の前でお嬢様は言った。

「藤村、ご苦労でした。あたしは丈夫なのが取り柄。あたしの為に馬鹿な真似はしないでね。第一、おまえがあんな所で寝て風邪を引いたら、それこそ、あたしの為に働けなくなるではないか! いつもの冷静な藤村らしくないぞ……」

藤村は苦笑した。

「あんな所で二度と寝るんじゃありません! いいですね」

「はい、お嬢様」

藤村は頭を下げると、お嬢様の前を辞した。
部屋に戻ると、藤村はため息をついた。真澄が頭の中で話しかける。

――今日は残念だった。今度は月の無い夜にしよう。それなら大丈夫だろう。

「ああ、そうだな」

――どうした、元気がないじゃないか……。 お嬢様の事は忘れろ! ……と言っても無理か。

「わかってるさ、わかってるんだ。……どうにもならんさ」

藤村は、着替えるともう一度ため息をつきながら布団に潜り込んだ。それでも、真耶お嬢様の嫁ぎ先に付いていけるのは藤村に取って喜ばしい話だった。真澄は真耶お嬢様の態度からお嬢様も藤村を好きなのかもしれないと思った。

――藤村が気絶した時、お嬢様は大声で泣いていた。藤村の命をあんなふうに心配するんだ。お嬢様も藤村を好きなのではないだろうか?

半信半疑ではあったが、真澄は間違いないだろうと思った。


翌朝、藤村はゴン太の大声で起された。

「藤村、起きろ」

ゴン太が大声を上げながら藤村の部屋にづかづかと入り込んでくる。

「なんだ、ゴン太、こんなに朝早くから!」

藤村は眠そうに言った。まだ、夜明け前である。
ゴン太は藤村の側にドカッと座ると、ひそひそと言った。

「俺は速水だ!」

「はあ〜? 何の話だ?」

藤村は寝ぼけた目をこすった。

「ゴン太があちらの世界へ行った。俺は速水だ。恐らく、ゴン太はイチョウの樹の根っこで寝たんだ。そして、今朝起きた時、寝ぼけてつまづいた拍子にイチョウの樹に思いっきり頭を打った。ほら、証拠に額にこぶがあるだろう。恐らく気絶したんだ。気絶した間にゴン太は樹に取り込まれたんだ」

速水は藤村に額を突き出して見せた。

「本当にゴン太じゃないみたいだな」

「ゴン太の魂は恐らく俺の体へ、俺の魂は空になったゴン太の体に入った。本当だったら、あんたと俺が入れ替わる筈だったんだ、昨日の朝。ところが、あんたの魂は完全に抜けなかった……。あの時は真耶お嬢様がいたからな。お嬢様の呼び声にあんたの魂は強く反応したんだろうよ」

ゴン太の姿形、ゴン太の声で理路整然と話が紡ぎ出される。藤村は奇妙な錯覚を覚えた。目の前にあるゴン太の肉体の向うに別人の体が見えたように思った。ごしごしと目をこする。もちろん、ゴン太はゴン太のままだった。

「……、これからどうする?」

「仕方がない。しばらくは、ゴン太として生活しなければならん。そこで頼みがある。俺は昨日、外で寝たので風邪を引いた事にしてくれ。実際、調子が悪い。この体に慣れなきゃいかんし、ゴン太の生活を覚えなきゃいかん」

「よし、わかった。ちょっと待っててくれ、今、着替えるから」

藤村は、着替えると速水をゴン太の宿舎に連れて行った。
下働きの者達はまもなく起き出すだろう。その前に藤村はゴン太について知っている事を全部速水に教えた。ゴン太は厩舎に隣接した小屋に住んでいる。板張りの床。祖末な布団。使い古された卓袱台。お世辞にも綺麗な所とは言いがたかった。しかし、普段は贅沢な暮らしをしている速水だったが、元々サバイバルな人間だ。どんな状況に置かれても、その状況の中から最前の選択が出来る人間である。速水は病気のフリをして部屋にこもった。
速水は元の世界に戻るにはイチョウの樹にぶつかって気絶しなければならないようだと思った。
ただ、眠るだけでは駄目かもしれないと速水は絶望的に思った。





続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


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