時計樹に飛び込んで    連載第7回 




 明治時代にタイムスリップした速水真澄はゴン太として生活する事になった。
真澄は、ゴン太の体に乗り移ってしまったその日は風邪という事で部屋に籠った。しかし、長くは休めない。真澄は一人になると、ゴン太の体をいろいろ動かして見た。自分の体より視線が高くなっている。距離感が違った。力も強いようだ。真澄は柔軟体操をしてみた。

――筋肉は発達しているが、体が柔らかくない。これで、体が柔らかければ、プロレスラーになれるな。

真澄が体操をしていると藤村が朝食を持って来た。

「何をしている」

「体を慣らしている。ゴン太は力持ちのようだな」

「ああ、相撲も強いぞ」

藤村は、真澄と一緒に食事を取りながらゴン太の話をした。大抵の事は頭が弱いからで誤摩化せるが、馬の世話や道を覚えると言ったゴン太の特技が問題だった。

「あんた、馬の世話は出来るか?」

「ああ、馬なら多少心得がある。馬の世話は大丈夫だろう。ただな……、道具がどこにあるかわからんし、道は初めての所ばかりになるしな。地図は読めるが実際に馬車を走らすとなると勝手が違うと思う。それに馬車を操った事がない」

藤村は真澄に馬車を動かす時は、一緒に乗ってやるからと言って真澄を安心させた。藤村はゴン太の仕事、主に馬の世話を真澄の前でやってみせた。真澄はゴン太の仕事をすぐに覚えた。藤村はこれなら真澄に仕事を任せても大丈夫だろうと思った。
真澄が今夜もイチョウの樹の根元で寝ると言うと、藤村が止めた。

「今夜はまずい。昨日、イチョウの樹の根元で寝て風邪を引いた事はだんな様もお嬢様も知っている。2度とするなときついお達しだ」

真澄は仕方なく、次の機会を待つ事にした。


その夜。
藤村と夕飯を食べた後、真澄は祖末な布団に潜り込み寝ようとしていた。すると、戸口でほとほとと音がする。

「ゴン太さん、あたしだよ、開けておくれよ」

深夜にゴン太を尋ねて来た女。この女はおミツと言って、下働きの女中である。掃除や風呂焚きを主な仕事にしている。
真澄はこんな時間になんだと思ったが、布団からでて戸口を開けた。今夜も綺麗な月夜だ。満月ではないが外は意外に明るい。
戸口の引き戸を開けるとおミツがするりと入って来た。

「どうだい、風邪の方は?」

と言って馴れ馴れしく真澄の額に触る。真澄の胸にすり寄りさわさわと胸をなで、頬を寄せた。真澄は驚いて、後ずさった。

「ああ、いいよ、おれ、おれさ、今朝、頭ぶつけたみたいでさ、ますます馬鹿になったみたいでよ。あんた、おミツさんだっけ?」

おミツは驚いた顔をして真澄ゴン太を見上げた。

「何を言ってるんだい、あたしを忘れたっていうのかい。白状な男だね。なあに、あたしを抱いたら思い出すさ」

おミツは真澄ゴン太に抱きついた。

「う!」

真澄は焦った。
おミツは寡婦である。30も半ば。小太りで十人並みの容姿である。身寄りはない。伯爵邸を追い出されたら行く所がないのだが、好色なおミツは男漁りが止められない。頭が少し弱いゴン太は、ちょうどいい相手だった。しかし、真澄は驚いた。

――おい、冗談だろ。なんで、俺が! 俺にはマヤがいるんだ!

おミツは着物の脇から手を入れて真澄ゴン太の胸に触ってくる。
真澄は女を騙して追い払う事にした。真澄は胸の中からおミツの手を引き出すと、その手を握って言った。

「俺、風邪引いてるんだ。おミツさんにうつしたら大変だろ。俺、おミツさん、大事にしたい……」

おミツははっとした。今までは、体の関係だけだと思っていた頭の弱い男。利用するだけ利用して捨てようと思っていた男。その男が意外に優しい言葉を言った。見上げると真摯な目をして自分を見つめている。

「あんた、今日は優しいねぇ、一体どうしたんだい。あたしに惚れたのかい。ま、いやだよ、からかってるのかい、照れるじゃないか、あんたにそんな風に言われたら……」

おミツが頬を染める。おミツの胸はどきどきとする。おミツは十代の頃に戻ったようだと思った。男の真剣な眼差し。握られた手に男の熱が伝わってくる。

「もう、いいよ、わかったよ、今日は帰るよ。あんたの風邪がなおったら、きっと抱いておくれよ」

おミツは照れくさそうに笑って帰って行った。真澄はおミツが行ってしまうと、扉を閉めた。つっかえ棒をする。女に触った手を着物でごしごしと拭いた。

「ふうー」

――どうやら、藤村の知らないゴン太が存在するようだな。

真澄はもう一度布団の中に潜り込んだ。真澄はマヤを思った。

――マヤ、君に会いたい。必ず戻るから待っていてくれ。

真澄はそう思ったものの、一抹の不安があった。21世紀にある自分の体にゴン太の魂が入ってしまったら、自分の魂を呼び戻す力がなくなっているのではないかと思ったのだ。

――いろいろ考えるのはやめよう。少なくとも、あの樹が魂を取り込むのは確実なのだ。それにしても、何故この時代なのだろう?

真澄は考えを巡らせた。

――あの時、真耶お嬢様はイチョウの樹に登って、助けを求めていた。何か関係があるのだろうか? 藤村と真耶お嬢様、あの二人は俺とマヤの前世かもしれんな。だが、二人は自分達が魂の片割れ同士だとは思ってない。きっと、魂の片割れが存在するとも思っていないのだろう。もし、ゴン太が俺の体で目覚めたら、いや、それより、俺の体、自白剤でおかしくなった俺の体はどうなっただろう。昏睡状態のままなのだろうか……。もし、体が死んだら、俺も消滅するのだろうか? その時、この体はどうなるのだろう。逆に、この体が死んだら、やはり俺も消滅するのだろうか?

そんな事を考えながら真澄は眠りに落ちて行った。

翌朝、夜明け前に藤村が真澄を起しに来た。真澄は馬術を習っていたので、馬の扱いに不安はなかったが、馬が不安がった。馬達はゴン太ではないとすぐに察知した。ゴン太の姿をしているのに、ゴン太ではない。それが、馬達の不安の原因だったが、真澄が丁寧にブラシをかけてやると馬達は真澄ゴン太を受け入れた。1頭だけ気難しい馬がいた。花という雌馬だった。花は真澄が近寄ると神経質そうに耳を寝かせ、ひずめで地面をかいて不安を表した。真澄は花にブラシをあてようとしたが、花は嫌がった。仕方なく、真澄はブラシをあてるのをやめ、餌で花を手懐けようとした。しかし、一向になつかない。取り敢えず、他の馬達の世話を先にやってしまって、花を手懐けるのは後にする事にした。一通り仕事が終わると藤村が朝食だと呼びに来た。

朝食が終わると、真澄は馬を馬車につなぎ、御者の服装をして真耶お嬢様を玄関で待った。
ふと見上げた玄関。真澄はどこかで見たような気がした。
やがて、藤村と真耶お嬢様が出て来た。真澄が御者台に座っていると、藤村も御者台に登った。

「藤村、どうしたのです?」

「お嬢様、ゴン太の調子が悪いようなので私めが介添え致します」

「そうか? ゴン太、まだ、風邪の調子が悪いのか?」

「は、はい」

真澄はゴン太らしく答えた。真耶お嬢様が腰に手をあててゴン太を見上げる。

「ゴン太、2度とあんな所で寝てはいけません。わかった?」

「すいません、お嬢様」

真澄は背を丸めゴン太らしく頭をかいた。
藤村は真耶お嬢様が馬車に乗るのを待って、馬車を動かした。真澄は藤村から大体の手ほどきを受けていたし、馬の扱い方は知っていたのですぐに馬車を自由に動かせた。後は、女学校までの道を覚えなければならない。真澄は必死で風景を覚えた。真耶お嬢様を女学校に送ると、馬車をぐるりと巡らせて北島伯爵邸まで戻った。藤村は真澄にもう一度、女学校までの道を往復させ、道順を徹底的に覚えさせた。さらに脇道や、お嬢様や奥様がよく行く店。そして、旦那様が出仕される外務省。こういった所への道を藤村は真澄に覚えさせた。

「おまえが知っているかどうか知らないが、東京はまだまだ物騒だ。特に外務省はいろいろと風当たりが強くてな……。暴漢に襲われた時の逃げ道も教えておく」

藤村は真澄に路地裏まで詳しく教えた。
真澄の生活は馬の世話で明け暮れ、なかなかイチョウの樹に行く機会はなかった。


一方、21世紀の世界では、ゴン太の魂は速水真澄の体に入った。しかし、真澄の体が昏睡状態だったので、ゴン太の魂はそのまま眠りについていた。





続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


Back    Index    Next


inserted by FC2 system