時計樹に飛び込んで    連載第8回 




 或る日、真澄はなかなか懐かない花という馬を馬場で走らせていた。真澄は花が懐かないので、力で言う事をきかせようと、花を走らせ攻めていたのである。
癖と言うのは知らずに出るものである。この時、真澄もまた花の上で知らずに21世紀の馬術で馬に乗っていた。その姿は頭の弱い男が、我流で馬に乗っていた姿からはほど遠い物だった。この姿を真耶お嬢様が見ていた。どこか異質さを感じた真耶だったが、ゴン太と馬の取り合わせは珍しい物ではなくすぐに忘れた。それに真耶お嬢様にはこの日、新しい遊び道具が届いていた。自転車である。真耶お嬢様は、1年程前から伯爵に自転車をねだっていた。まだまだ国産の自転車はなく、海外からの輸入物だった。それがやっと届いたのである。藤村がゴン太に声をかけた。

「ゴン太! お嬢様がバイシクルの練習をされる。馬場から馬を厩舎にいれてくれ」

真澄は藤村と真耶お嬢様にペコリと頭を下げると、数等の馬を厩舎にいれた。馬に水を飲ませる。馬の花はやっと真澄に慣れたようで、もう、真澄を怖がらなかった。
馬の世話を終えると、真澄は馬場に戻ってみた。自転車の輸入を代行した商人が自転車に乗れる外国人を連れて来ていた。真澄が見に行くと藤村が外国人に支えられて練習している最中だった。運動神経のいい藤村はやがてバランスが取れるようになった。次に真耶お嬢様が練習をする。真耶お嬢様がペダルを踏もうとした。外国人が何か言っている。藤村が通訳をする。

「お嬢様、お嬢様はまだバランスが取れていないそうです。ペダルをふまずにバランスを取るようにと……」

真澄は藤村に声をかけた。

「藤村、手伝おうか?」

商人も外国人も藤村も疲れ切っていた。人を乗せて自転車のバランスを取りながら走らせるのは重労働だ。

「ゴン太、いい所に来た。手伝ってくれ」

真澄はお嬢様の自転車のバランスを取りながら走った。しかし、子供ならまだしも16歳の少女は重たかった。真澄はお嬢様の袴の裾が引っ掛かっているのに気が付いた。

「お嬢様、ズボンは無いんですか?」

「ゴン太、何を言っている。あたしがいくらお転婆でも人前で男物のズボンは履かぬぞ」

「けんど」

真澄はことさら田舎言葉を使った。

「袴の裾がからまってやりにくそうですだ。それにペダルがない方がいいような……」

お嬢様はブレーキをかけて自転車を止めるとゴン太を振り返った。

「おまえ、いい事を言う」

休んでいる商人に真耶お嬢様が声を駆けた。

「このペダルは外れないのか?」

商人は外国人にペダルが外れるかと話した。外国人は商人にうなづいて見せた。商人は明日、工具を持って来ると約束をした。

「ゴン太、お前も乗りたいか?」

「いいえ、滅相もありません。ゴン太が乗ったら、それはひしゃげてしまいます」

「だいじょうだ。これはバイシクルと言ってな。西洋の乗り物だ。おまえより大きな西洋人が乗っている」

真澄は仕方なく乗る事にした。自転車はお嬢様用にサドルが低かった。藤村は商人達と3人でゴン太を支えようとした。ゴン太の体は大きくて重い。商人達はどうなる事かと思った。真澄は取り敢えずバランスを取れないフリをしようとしたが、こけそうになって思わずバランスを取った。パチパチとお嬢様が拍手をする。乗れるのに、乗れないふりをするのは難しい。2、3度こけてみせて、その場から離れようとした真澄だったが、真耶お嬢様が許さなかった。仕方なく、やっと乗れたという格好をした。

「いいぞ、ゴン太、おまえ、筋がいい!」

「お嬢様、ありがとうござえます」

真澄は自転車に乗ったまま、お嬢様の方を振り向き、嬉しそうににこにことして見せた。少し頭の弱い男が主人に褒められて喜んでいる図である。ところが、その時、ハプニングが起こった。猫が馬場を横切ったのだ。真澄は慌てて、ハンドルを切り、猫を避けた。お嬢様が驚いた顔をしてゴン太を見た。

「おまえ、もう乗れるのか?」

「ははは、お嬢様、まぐれです」

「そうですとも、ゴン太は普段から馬に乗っています。それで筋がいいのでしょう。お嬢様、もう夕方です。ゴン太は仕事に戻りませんと……」

「そうだな、ゴン太、また、一緒にバイシクルに乗ろう。藤村、おまえも早く乗れるように!」

「はい、お嬢様」

藤村は軽く頭を下げた。

「お嬢様、そろそろ、お召し替えのお時間かと……。ゴン太、悪いがバイシクルを納屋に入れておいてくれ」

商人は外国人を連れて明日また来ますと言って帰って行った。

その夜。
ディナーの席で藤村は北島伯爵からこっぴどく叱られていた。真耶お嬢様が自転車に乗ったのが旦那様に知られてしまったのだ。

「藤村、まもなく見合いだというのに何という事だ。真耶が怪我をしたらどうする」

「申し訳ありません」

「ごめんなさい、お父様。藤村を叱らないで。あたしが悪いの。お願い。もうしませんから! 藤村を叱らないで!」

伯爵はため息をついた。

「そうだな、バイシクルを発注したのを忘れていた父様にも非があるな。真耶、買ってやって悪いが結婚が決まるまでは、バイシクルは乗ってはだめだぞ」

「はい、お父様」

真耶お嬢様は小さく返事をした。

翌日、真耶お嬢様の元に新しいドレスが届いた。華やかなピンク系のドレスは、レースで豪華に装飾されており素晴らしい出来上がりだった。真耶お嬢様が着てみるととてもよく似合った。ドレスを届けに来た洋装店の店員が言った。

「こちらのドレスは最初は、リボンで飾る予定でした。リボンの入荷が遅れていまして、それで、藤村様の助言に従ってレースにしたのです。レースにして宜しゅうございました。大変豪華に仕上がりました」

同席した伯爵夫人も、驚いた様子をした。

「リボンよりレースの方が大人っぽいわ。これが、あのお転婆な真耶さんかしら。ほほほ、そのまま澄ましていらしたら、きっと上杉様も気に入ってくださるわよ」

伯爵夫人は娘をからかってころころと笑った。

「まあ、お母様ったらひどいわ」

真耶お嬢様は思わずむっとした。

「藤村、おまえが洋装に詳しいとは思いませんでした。一体、どこで、そんな知識を?」

「奥様、あの、何かで、読んだのでございます。確か、英語のテキストだったと思います。それで、申し上げてみました。リボンの入荷を待っていたらいつ仕上がるかわかりませんでしたし、旦那様から急ぐように言われていましたので……」

藤村は、大急ぎで言い訳をした。

――速水から教えてもらったとは絶対に言えないな。だが、あの男の言った通りだ。以前のドレスより格段に大人っぽい。これなら、上杉様もお嬢様を気に入るだろう。

藤村は淋しかったが、身分制を徹底的に教え込まれている藤村には、真耶お嬢様が上杉家の長男と結婚するのがお嬢様に取って最高の幸せなのだと信じて疑わなかった。

それからしばらくは何事もなく過ぎた。見合いの舞踏会を数日後に控えた或る日。真澄はゴン太として、いつものように真耶お嬢様を女学校から馬車に乗せ、屋敷へ向けて馬車を走らせていた。その日、お嬢様は剣道の練習があった。時刻は夕刻である。女学校と屋敷の間には、人気の無い場所があった。そこを通りがかった時、馬車の前に飛び出して来た者達がいた。真澄は慌てて馬車を止めた。皆、覆面をしている。数人の暴漢が馬車を囲んだ。

「お前達、何者だ! 北島伯爵ご令嬢、真耶様の馬車と知っての狼藉か?」

真澄は凄んだ!





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