トト    連載第3回 



 真澄は、自室で会社から持って帰った仕事をやっていた。すると、ドアの外からうなり声が聞こえた。トトのうなり声である。
仕事をする時、速水はトトを部屋の外に出していた。部屋の外に出されても、トトは真澄の部屋の前に居座っている。
真澄は不信感を覚えた。
トトは、甘えて鳴く事はあっても、うなる事はない。
何かを威嚇しようとするかのような喉の奥から絞り出されるうなり声。
真澄が様子を見ようと立ち上がった瞬間、防犯システムが作動した。侵入者だ。
真澄はさっと、机の上の書類を引き出しにしまうと鍵をかけた。
屋敷のあちこちから声が響く。トトが精一杯威嚇した吠え声を上げる。
真澄は手近にあったゴルフのアイアンを持つとドアを開けた。廊下の向うで人がばたばた動く気配がする。
足下にトトが滑り込んでくる。

「トト、いいか、君はこの部屋を守るんだよ」

真澄は自室にトトを閉じ込めると廊下を走った。防犯カメラのモニターが設置してある部屋へ急ぐ。
モニタールームに着くと警護に当たっている使用人が警察に連絡をいれている所だった。モニターには侵入者が庭にいる様子が写っており、防犯システムの警告音に驚いて今まさに逃げ出そうとしていた。警察に連絡したのでまもなく警官が到着するだろう。
真澄は使用人達に、侵入者が入ってきた箇所のチェック、他に怪しい人間はいないか屋敷内の見回りをするよう指示した。やがて警官が到着、速水邸の防犯係はカメラの映像を警官に渡した。警察は不法侵入で現行犯逮捕出来ると喜んで帰っていった。

騒然としていた屋敷内はやがて静かになった。真澄もまた部屋に引き上げる。しかし、部屋の前で男の悲鳴を聞いた。
侵入者だ。真澄がドアを開けると暗闇で男が暴れている。真澄は灯りをつけた。侵入者がトトを振り放そうとしている。
トトは侵入者の手に噛み付いていた。男がトトを捕まえようとすると、トトはさっと離れた。次の瞬間、侵入者の鼻に噛み付いていた。

「ぎゃあっ」

男が悲鳴を上げる。
真澄は近くにあった防犯ベルを押した。フォンフォンフォンフォン、警告音が大音量で鳴り響く。
男はトトを捕まえようと手を伸ばした。トトは両手両足の爪で男の顔を思いっきり引っ掻いたかと思うと伸ばされた手をすり抜けて逃げた。男は真澄に気が付くと、とっさに灰皿を真澄に向って投げつけた。大理石で出来た重い灰皿が真澄めがけて飛んで来た。真澄は灰皿を避けるとアイアンで男の頭を殴って気絶させた。真澄は大きく息を吐き出した。

「トト、大丈夫か?」

真澄は知らずにトトに話しかけていた。トトはまるで分かったかのように「ワン!」と吠えた。

一人目の侵入者は陽動だったのだ。警官が呼ばれた所で、警官の服装(実際はガードマンの服装だったが)をした男が何食わぬ顔で邸内に潜入。真澄の部屋から金目の物と大都芸能の情報を盗もうとしたのだ。男はもう一度やってきた警官に引き渡された。
犯人は後に警察官に話した。

「まさか犬がいるとは思わなかった。あの犬はまるで気配がなったんだ。いきなり噛み付かれた。俺は不意をつかれて……」

警察官は、しばらくして速水邸に報告に来た。

「野生動物が獲物を襲う時、そっと近づくんです。気配を殺しましてね。ですからわんわん吠える犬は番犬としては役に立ちますが、実際に獲物をしとめるハンターとしては失格なんです。その点、お宅の犬は見事でしたな」

犬は飼い主に似ると言う。トトもまた速水に似た犬になっていた。
警察官がトトを褒めた話は、英介を始め速水家の人々を喜ばせた。トトはご褒美に好物の鶏肉を貰った。トトは餌を前にくるくると回って喜んだ。



そして、2年が過ぎた。


速水は英介の勧めで見合いをした。マヤをあきらめた速水は、マヤへの深い愛を心の奥底に封じ込めた。
速水の見合い相手、鷹宮紫織は速水と親しくなると、速水邸を訪れた。そして、トトの存在に驚いた。業界で冷血漢と言われている速水が小さなテリアを飼っているとは思ってもいなかったのである。が、トトは鷹宮紫織になつかなかった。紫織に向って吠え、威嚇した。

「どうした? トト? 紫織さんが嫌いか? 優しい人だぞ」

困った速水はトトを部屋に閉じ込めた。が、トトは紫織がいる間中、遠吠えを上げ続けた。
紫織もまた困った顔をした。

「私、小さな犬に嫌われた事はありませんのよ。こちらのトトちゃんにはすっかり嫌われたみたいですわ」

「すいません、紫織さん」

「いいんですの。……トトというのは、『オズの魔法使い』から」

「ええ、そうです。3〜4年まえだったか、貰ったんですよ。その時、僕の誕生日だったんですが、何故か、北島君から貰いましてね。なんでも、高校の友人の家に生まれた子犬に貰い手がなかったそうで……、プレゼントといいながら、僕に子犬を押し付けているのがみえみえで……」

真澄は思い出して笑った。紫織はのど元に塊がつまったような気がした。社交的な紫織をして言葉が出ない状況を北島マヤの名前が作り出していた。紫織は口元に笑みを作るのがやっとだった。

「その時、北島君は級友2人ときていたんですが、トトはまるで、『オズの魔法使い』に出て来る犬のようだと思いましてね。黒くて小さなテリア。それで、トトと名付けました」

「まあ、本当にオズに出て来る犬にそっくり!」

鷹宮紫織はころころと鈴のような笑い声をあげた。紫織は「オズの魔法使い」の言葉に自分を取り戻していた。北島マヤには負けない。
そして、鷹宮紫織もまた、真澄に聞いたのだ。

「こちらのお宅では番犬は飼っていませんの? うちでは用心にドーベルマンを飼っていますが」

「家には最新式の防犯システムがついているので番犬は飼っていません。昔、飼っていましたが……」

真澄はやはりそこで、言葉を濁した。そこに執事の朝倉が現れたので、犬の話はそこまでになった。


季節は初夏を迎えていた。
北島マヤが「忘れられた荒野」で最優秀演技賞を獲得、梅の谷で練習に励んでいる頃、月影千草を追って同じく梅の谷にやって来た速水英介は事故で車ごと谷間に転落。行方不明になった。現地で必死に捜索の指揮を取った真澄だったが、結局英介は見つからなかった。仕事の都合で一旦東京に戻った速水を待っていたのは自己保身に走る重役と遺産を狙う親戚達だった。
真澄の周りは敵だらけだった。会社では重役達が速水が英介の養子である事から、このまま、速水が社長を続けるのか、それよりも何よりも社内における自分達の地位はどうなるのかそればかりを心配した。また、英介の親戚達は毎日速水の家を訪ねて来ては、英介を死んだ物として扱い、真澄に英介の遺産に対し自分達の権利を主張した。
そんな時、鷹宮紫織が訪ねて来た。
真澄にしつこく迫ったおかげでなんとか、プロポーズの言葉を真澄から引き出した紫織だったが、真澄が自分に気がないのを歯がゆく思っていた。

――今、真澄様はお父様が行方不明で、落ち込んでいらっしゃるわ。
  私がお慰めしたら、真澄様はきっと私に夢中になってくださるわ。

鷹宮紫織は雌としての本能で速水真澄を求めていた。より強いより良い遺伝子を持った男の子供を産みたい。その本能に従った。

だが、応接室で紫織が聞いたのは真澄の冷静な言葉だった。

「僕は義父がいなければ只の男です。鷹宮家に相応しい男ではありません。
 お父様もお爺様もさぞ、不安に思っていらっしゃるでしょう。
 紫織さん、僕とのことは思い直して下さっていいんですよ」

「そんな! そんな悲しい事をおっしゃらないで! 私は他の方達とは違いますわ。
 どんな事があっても紫織はあなたのお側を離れませんわ」

紫織は窓辺に立つ真澄の背中を抱きしめた。
真澄が振り返る。

――そうよ、真澄様、私を抱きしめて、私の唇を奪って!

紫織は抱きしめられるだろうと待っていた。ここで真澄とキス出来れば真澄の心を虜にしたのも同様だと思った。

ワン! ワンワンワン! ウォーン、ワン!

二人は驚いて振り向いた。いつのまに入って来ていたのか、トトが速水に向って吠えている。さらにトトは餌入れをくわえて来ると、真澄の足下においた。真澄は我に帰った。紫織の顔が真近にある。ふっと真澄は笑うと紫織をそっと遠ざけた。真澄はしゃがむとトトの目を覗き込んだ。

「どうした? トト? 餌がほしいのか?」

「ま、珍しい事!」

紫織が来てもトトは紫織に近づかない。紫織はトトの存在を忘れていた。

「しょうがない奴だな。紫織さん、ちょっと待っていて下さい」

「え、ええ……」

真澄はトトを連れて応接室を出た。トトは応接室を出る時、ちらりと紫織を振り返った。紫織はその時、見た! トトがほくそ笑むのを!
いや、紫織の心がトトに投影されそう見えただけだったのだが……。

――あの犬! 悔しい! もう少しだったのに! もう少しで真澄様を落とせたのに!

トトに餌をやった真澄は、紫織の為に車を用意した。紫織の望んだ雰囲気はすでに失われており、紫織は真澄に促されるまま車に乗って帰るしかなかった。紫織は歯噛みして悔しがったが、遅かった。鷹宮紫織は絶好の機会を逃したのである。翌日、速水英介が発見された報せが東京に届いた。





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