トト    連載第5回 



「速水さん!」

マヤは思わず叫んでいた。ピシリとスーツを決めた速水真澄が車から降りて来た。
大会社の社長のオーラを放つ速水真澄。3年前、休日にくつろいでいた速水とはまとう空気が違う。若輩の二人は緊張した。マヤは別の意味で緊張して立っている。対する真澄は自然体である。気さくに声をかける。

「やあ、チビちゃん! 久しぶりだな、それに……、君は確か……、トトの元の飼い主じゃなかったかな。あの時はまだ高校生だった」

「は、はい、そうです。草木です」

「ぼ、ぼく、吉沢です」

吉沢ひろしも必死に自己紹介をする。

「ああ、そうそう、今は? 大学生?」

「はい、K大の文学部です」

二人は異口同音に答える。

「そう……、さ、こんな所で立ち話も何だ。今日は? 何の用事だ?」

「あの……、あの時の小犬がどうなったかと思って……」

草木広子が答える。速水は運転手に門を開けさせた。

「なるほど……、トトは元気だ。会って行きなさい。そうすれば、安心だろう」

速水は3人の前に立って歩き始めた。
玄関に入ると、速水が不信そうに言った。

「朝倉、トトは? 俺が帰ってくると大抵、迎えに出て来るんだが……」

速水は3人に言うともなく言っていた。

「こちらの3人はトトを見に来たんだ。トトの贈り主だ」

朝倉は探してきましょうと言って奥に引っ込んだ。
速水は3人を応接室に案内した。

「さ、かけて!」

「いえ、あたし達、本当にすぐに帰りますから」

マヤがあせって言う。

「そう、言わず」

速水はくすくす笑いながら3人をソファに掛けさせた。そこへ朝倉が戻って来た。不安そうな顔をしている。

「若、トトが見当たりません」

「まだ、庭にいるんじゃないか?」

「いえ、トトは……、若が帰ってきたらすぐに飛び出して来ます。それが出て来ないとしますと、どこか、出て来れない所にいるのではと思いまして、若の部屋を中心に探したのですが……」

「他の部屋は?」

「それが、その……」

速水は朝倉が3人の手前話しにくそうにしているのがわかった。

「朝倉、3人に……、夕食を出してやってくれ」

「いえ、あたし達、すぐに帰りますから」

今度は草木広子が恐縮して答えた。

「いや、ゆっくりして行ってくれ。トトはすぐに見つかるだろう」

速水は3人を応接室に残して廊下に出た。朝倉が真澄の側により声をひそめて話した。

「若、実は……、今日、3時頃、紫織様がいらっしゃいまして……、私がトトを最後に見たのは紫織様と一緒だったのが最後なのでございます。食堂でトトが水を飲むのを見ていらっしゃいました」

「……だったら、紫織さんに聞くのが手っ取り早いだろう」

速水はさっそく携帯から紫織に電話をかけた。

「紫織さん? 速水です。今日、うちにいらしたそうですね。トトを見かけませんでしたか?
 ……今探しているのですが……、え! 池の近くですか?……、あ、いえ……、わかりました、そちらを探してみましょう。
 え? ええ、今日は予定していた接待が先方の都合でキャンセルになったんですよ。
 たまには家でゆっくりしようと……、ええ、それでは……」

速水は携帯を切った後、しばらく考えていた。

「朝倉……、トトはおそらく……、親父の方の棟にいる」

「旦那様の……? あちらには行かないよう躾けてありますが……」

「ああ、だが、紫織さんが連れて行ったかもしれない」

「わかりました、すぐに探しましょう」

英介の部屋は速水邸の東側にあった。池は英介の部屋の前だ。そこから連想したのだが……。速水は順番に部屋を調べていった。そして、「紅天女」のコレクション部屋で見つけた。ぐったりとしているトトを。
鷹宮紫織は薬の量を間違えていた。



 「トト!」

速水は、真っ青な顔でトトを抱き上げると急いで玄関に向った。

「朝倉、すぐに車を出せ! 医者に連れて行く!」

速水が玄関につくと、マヤ達が応接室から出て来た所だった。

「すまない、君達、いまからトトを医者に連れて行く。様子がおかしいんだ。
 こんな事は今までになかった。元気なトトを見せてやりたかったんだが……」

草木広子が慌てて言った。

「いえ、いいんです。速水さんの様子を見たら大切にしてくれていたのがわかります。
 あたし達、お邪魔になったらいけないので、これで失礼します。突然訪ねてきてすいません」

速水はマヤをちらりと見た。

「そうか……、また、日を改めて来てくれ。今日はよく来てくれた」

速水は玄関前に横付けされた車に飛び乗ると動物病院へ向った。
残された3人は、執事の朝倉に挨拶をすると速水邸を後にした。



トトは病院で検査した結果、睡眠薬によって昏睡状態にあると判明。適切な治療を受けて回復に向った。
医者は速水に病状を説明した。

「睡眠薬を飲んでますね」

「睡眠薬?」

「落ちている薬を間違えて食べたのでしょう。誤飲はよくありますから。間に合って良かったです。一歩間違えたら死んでしまう所でした。もう大丈夫だと思いますが一晩入院させて様子をみましょう」

速水は驚くと共に腑に落ちなかった。トトは自分の餌入れからしか食べないよう躾けられている。拾い食いは決してしない。それに速水邸で睡眠薬を飲む人間はいない。

「トト……」

速水はトトの頭をそっとなでた。

――君に睡眠薬を飲ませたのは一体……

速水はため息をついた。トトに睡眠薬を飲ませた人間。鷹宮紫織以外にそんな機会がある人間はいなかった。

――(トトちゃんでしたら、池の近くで見かけましたけど)
  何故、そんな見え透いた嘘を?


トトは小犬の頃、速水邸の庭を駆け巡って遊んでいた。特に池は面白かった。池の中をゆうゆうと泳ぐ錦鯉はトトの興味を引いた。ところが、或る日、うっかりトトは池に落ちてしまった。鯉は雑食である。池の中に落ちてバシャバシャと泳ぐトトを最初は遠巻きにしていたが、やがてトトが犬かきで泳ぎ始めるとゆっくりと近づいて行った。小犬の足と長い毛が鯉には餌に見えた。鯉はトトの足をパクリと掴むと池の中に引きずり込んだ。トトは溺れながら懸命に吠えた。トトの鳴き声を聞きつけて速水邸の人々がトトを救い上げた。トトはかなり水を飲んでいたが、医者の適切な処置で事なきを得たのだ。以来、トトは池には決して近寄らなくなった。

決して近寄らない池の近くにトトが居たなどと何故紫織が嘘を言ったのだろうと速水は思った。
紫織になつかないトトを紫織は嫌っていた。

――それとも、本当にトトは池の近くにいたのだろうか。

池は英介の住む棟の前庭にある。
こんなもやもやとした情報が速水に東の棟を捜索させ、そして、コレクション部屋でトトを見つけた。

速水はトトについてそのまま病院で一夜を過す事にした。何かあった時飼い主が側にいた方がいいからだ。
病院側は速水が一晩付きそうと言うと、トトを特別室のゲージに移した。ペットと一晩一緒に過す飼い主の為の特別室だ。ガラスで仕切られたゲージの横にソファがあり、仮眠出来るようになっている。
速水は朝倉に電話をすると、自身のアタッシュケースを持って来るように指示をした。ついでに何か食料、弁当かサンドイッチを持って来るように言う。アタッシュケースの中にはノートパソコンと資料が入っている。トトが休んでいる間、仕事を進めておこうと速水は思った。

速水がトトを見ながら待っていると、動物病院の受付から看護士が来た。

「速水さん、ご自宅から執事の朝倉さんが来ましたよ」

看護士の後ろから朝倉が顔を出した。そして、さらにその後ろからマヤが顔を出した。

「あの、若、お鞄をお持ちしました。それと、お弁当です。北島様が持って来るのを手伝って下さいまして……」

速水はびっくりしてマヤを見た。

「チビちゃん、帰ったんじゃなかったのか?」

「あの、あたし、気になって……」

マヤは弁当を差し出した。





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