トト    連載第6回 



 速水は朝倉からアタッシュケースを、マヤから弁当を受け取った。
マヤはポットからコーヒーを出して注ぐとコップを速水に渡した。
微かに指が触れる。
マヤはどぎまぎした。やはり速水に会いに来るのではなかったと思った。草木達と一緒に帰るのだったとマヤは後悔した。

「トトはどうです? 大丈夫でしたか?」

執事の朝倉がゲージの中を覗きながら言った。マヤも一緒にゲージを覗く。トトは穏やかな寝顔で眠っている。

「ああ、一晩こちらで休めば大丈夫だそうだ」

速水はトトの不調の原因を言わなかった。薬によって死にかけた事を。

「朝倉、もういいぞ、屋敷の皆にも大丈夫だと言っておいてくれ」

「は! しかし、何故、旦那様のコレクション部屋に? あそこには入らないように躾てございましたが……」

「……たぶん、病気のせいで迷いこんだんだろう。たまたまドアが開いていたんじゃないか? 親父のコレクションには被害がなかったんだろう?」

「はい、大丈夫でございました。あそこは常に空調をきかせてコレクションの品々が劣化しないようにしております。きっと、トトは暑さにやられたのでございましょう。それで、涼しい所に迷いこんだのだと思います」

「ああ、そうだな」

真澄は朝倉がうまく説明してくれたので、その説を採用する事にした。鷹宮紫織がトトをあの部屋に入れた証拠はないのだから。
その時、マヤのお腹がぐうっとなった。マヤの顔が真っ赤になる。

「あ、すいません、あたし」

真澄がくすくすと笑い出した。

「いや、いいんだ。健康な証拠だ。さ、一緒に食べよう」

執事の朝倉は「では、戻ります」と言って帰って行った。
速水とマヤは弁当をぱくついた。速水家の弁当は豪華だった。
弁当を食べながら、マヤはこんな風に速水と普通に話せるのが嬉しかった。二人は弁当を食べコーヒーを飲んだ。どちらからともなく話し、話しかけた。

「どうだ、チビちゃん? 稽古の方は?」

「はい、やっと阿古夜の演技が出来るようになった所です。まだまだわからない所が多くて……。桜小路君とあたしの演技は魂の片割れ同士の恋じゃないんだそうです。好意があるのはわかるけど必死さがないって黒沼先生に言われました」

「くくく、そりゃあチビちゃんには無理だろう。魂の片割れの恋なんて!」

「どうしてです? どうしてあたしには無理なんです?」

「……じゃあ聞くが、君はこの恋の為なら死んでもいいって言う恋をした事があるか? 俺は君が中学生の頃から見て来たがそんな恋煩いをしている所は一度だって見た事がないぞ。むろん、里美君とは付き合っていたがな。だが、あれは成長期のはしかみたいなもんだった」

「経験をしていなければ、演技出来ないっていう事はありません」

「確かにそうだ。演じる恋が普通の恋ならな。普通の恋ならその辺にいくらでも転がっている。恋人達を観察すればおのずと演技は出来るようになるだろう。だが、魂の片割れとの恋だ。恐らく、これはその辺に転がっていない」

マヤは黙った。

――いいえ、速水さん、魂の片割れへの恋ではないけど、でも……。
  この想いの為になら死ねる。あなたへの片恋……。

速水はマヤの沈黙に話を続けた。

「だが、一人だけ魂の片割れとの恋をした人間が君の身近にいる」

「……速水さんですか? 紫織さんと……」

マヤの心はずきずきと痛んだ。声が震える。速水はマヤの答えに皮肉な笑みを浮かべた。そして、否定も肯定もしなかった。

「月影先生だ」

「!」

「尾崎一連との恋を先生は魂の片割れとの恋だと言っている。先生が尾崎一連を思い出して語る時の表情を思い出してみろ。参考になるだろう」

「ええ、でも……。先生はあたし達の前で一連先生のお話をされた事はほとんどないんです……。でも、そうですね。今度、聞きに行ってみます」

マヤはふと黙った。そして、以前からずっと気になっていた事を聞いた。

「あの、トトは……、速水さんはトトを好きですか?」

「……何故、そんな事を聞く?」

「あの……、小犬を上げる時、ホントは……、貰い手がなかったんです。それで、誕生日のプレゼントと言いながら速水さんに小犬を押し付けちゃって……。ごめんなさい、速水さん……、あの、あたし……速水さんに迷惑をかけたんじゃないかって……」

「……トトはいい犬だ。そうだな、俺はトトを好きだよ。君から小犬を貰って良かったと思っている」

マヤの顔にぱあっと笑顔が広がった。

「良かったー! あたし、ずっと気になってたんです」

速水はマヤの笑顔に驚いた。

「そんなに気になっていたのか? 相手が君でなければ、何か魂胆があるんじゃないかと思う所だ」

「魂胆なんてありません!」

「……俺は君にひどい事をした。君が俺を憎んで当たり前だ。君が俺に八つ当たりをしても気にせんよ」

「速水さん、あの、誤解です。あたし、あたし、もう憎んでません」

マヤは必死だった。速水に女性として愛されなくてもいい。だが、誤解されたままでいるのは耐えられなかった。

「本当です! 信じて下さい!」

速水は不信そうな顔をした。

「……何故だ? 何時からそう思うようになった?」

「……あたし、ある人から言われて……、三年前、吉沢君から……。あたしをスターにするのは大変だったんじゃないかって……。でも、言われた時は、全然、そんな風に思えなくて……。あなたがお金儲けの為にあたしをスターにしたかったんだって、ずっとそう思ってたんです。でも、それが誤解だってやっと、やっとわかったんです。ずっと、言いたかったんです。でも、機会がなくて……。それに、意地になってて、あなたに会うとあたし、憎まれ口しか言えなくて……、ごめんなさい。速水さん……」

速水はしばらく黙ってマヤを見つめていた。マヤは俯いて自分の手元を見ていた。結局信じて貰えないのだろうか、マヤは不安になった。

「じゃあ、どうして今日は素直に言えるんだ」

「あの……、それは……、もうすぐ試演だし、なんていうか、病気のトトを見て……、今は元気でも病気や事故で死んだらって、うまく言えないけど、誤解を解く機会のないまま、速水さんに2度と会えなくなったら後悔するんじゃないかって、だから……」

「……君は俺を許してくれるというのか?」

マヤは速水を見上げた。

「……はい」

こくりと頷く。
速水はもう一度、ゆっくりと息を吐き出した。

「……良かった。それを聞いて肩の荷が降りたよ、ありがとう」

速水は晴れ晴れとした顔をした。いい笑顔だった。マヤは昔、トトと遊んでいた速水を思い出していた。

打ち解けた二人ははいろいろな話をした。
速水はトトの思い出をマヤに話した。速水は普段はべらべらしゃべる男ではない。だが、仕事として客を接待しているだけあって話をしなければならない時には巧みに話した。マヤは速水の話を聞いているのが楽しかった。時間が立つのを忘れた。そして……。
結局、二人はその夜、特別室のソファで眠ってしまった。


朝。マヤは犬の鳴き声で目を覚ました。
朝日が部屋を明るく照らしている。ゲージの中でトトが尻尾をふっている。元気そうだ。マヤはゲージの側に行った。

「トト、良かったね。元気になって……」

マヤは速水を起そうとゆすった。

「速水さん、トト、元気になりましたよ」

速水は目を開けると愛しい少女の顔が真近にあり、ドキッとした。
速水とマヤは一緒にゲージをのぞいた。トトが嬉しそうに尻尾をふっている。医者はトトの様子に、退院の許可をだした。
速水はトトを抱き上げるとマヤに渡した。
トトはマヤに抱かれると、尻尾をふって喜びマヤの口元をペロペロと舐めた。

「きゃあ、かわいい!」

マヤが歓声をあげる。
速水は愛しそうにマヤを見つめた。
二人はトトをキャリーバックにいれると迎えに来た車に乗って動物病院を後にした。

速水はマヤが自分を憎んでいないと知って、今の自分の立場に苛立ちを覚えた。
「婚約者のいる男」
いや、違う。
「美しい婚約者のいる男」
人によっては、更に言うだろう。
「金持ちの美しい婚約者のいる男」と……。
それが、どんなに幸福とほど遠いか、速水自身よくわかっていた。





続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


Back    Index    Next


inserted by FC2 system